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2011年カンヌ国際映画祭における本プロジェクトプレス発表にて、映画監督の河瀬直美氏(中央)
「60 Seconds of Solitude in Year Zero」は、1分間の無声ショートフィルムで構成されるユニークな映画のインスタレーションです。
世界各国の60人の映画監督による、オリジナルの35mmフィルムの映像作品が集まります。それらは、映画へのラブレターともいえる作品群です。
上映はタリンの海岸で行われ、本プログラムのための特別なスクリーンとプロジェクターを設置します。作品はそれぞれ一度だけ上映され、同時にフィルムはその場で燃やされます。本プロジェクト代表者のステン・サルヴェール氏は、2010年10月の東京国際映画祭開催を機に来日。日本の映画関係者との打ち合わせを重ねました。現在、3名の日本の映画監督の参加が決定しています。本年5月に開催されたフランスのカンヌ国際映画祭では、同映画祭に作品を出品していた河瀬直美監督も参加し、「60 Seconds of Solitude in Year Zero」プロジェクトのプレス発表を実施。多くのメディアで紹介されました。
2011年は映画の歴史の変化を目の当たりにしています。35ミリフィルムは、新しい技術に取って代わられ、旧来の映画術の時代の終わりを告げています。本プロジェクトは、商業ベースではなく、旧来の映画芸術における映画術、35ミリセルロイドフィルムへの敬意を表するものです。このインスタレーションは、映画を愛するすべての人々にとって、映画へのロマンに満ちたフェスティバルであり、人と映画が共有する最後の瞬間の記念碑的な作品であり、映画でしか表現できないすべてのものを象徴的するプロジェクトとなります。
奈良県奈良市紀寺町出身。奈良市立一条高等学校卒業。大阪写真専門学校映画科卒業。平城遷都1300年記念事業協会評議員。なら国際映画祭実行委員会会長を務める。大阪写真専門学校卒業後、同校の講師を務めながら、8mm作品『につつまれて(山形国際ドキュメンタリー映画祭国際批評家連盟賞受賞)』や『かたつもり(山形国際ドキュメンタリー映画祭奨励賞受賞)』を制作し注目を集める。
初の35mm作品であると同時に最初の商業作品として制作された『萌の朱雀(もえのすざく)』にて、1997年カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞。また芸術選奨新人賞受賞。第60回カンヌ国際映画祭にて『殯(もがり)の森』がグランプリを受賞。なお、同作品はNHKエンタープライズが製作協力した関係で、劇場公開前の2007年5月29日(グランプリ受賞の2日後)にNHK BS-hiの『ハイビジョン特集』にて放送された。 また、この年の10月に行われた山形国際ドキュメンタリー映画祭のインターナショナル・コンペティション部門で『垂乳女(たらちめ)』が特別賞を受賞した。第62回カンヌ国際映画祭で、映画祭に貢献した監督に贈られる「金の馬車賞」を受賞した。
http://www.kawasenaomi.com/
青山 真治(あおやま しんじ、1964年7月13日 - )は、日本の映画監督・小説家。
福岡県北九州市出身。北九州市立緑丘中学校、福岡県立門司高等学校を経て、1989年立教大学文学部英米文学科卒業。立教大学映画研究会出身。在学中は蓮實重彦に学び、深い影響を受けた。卒業後はフリーの助監督として、ダニエル・シュミット、黒沢清などにつく。1995年オリジナルビデオ『教科書にないッ!』で初監督。地元、福岡県の門司を舞台にした『Helpless』で商業映画デビュー。監督作品『EUREKA』で、カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞・エキュメニック賞を受賞。『レイクサイド マーダーケース』では、初の娯楽作品に挑む。小説家としても活動し、2001年には自作のノベライズ小説『EUREKA』で第14回三島由紀夫賞を受賞。また、2005年には『ホテル・クロニクルズ』で第27回野間文芸新人賞候補にノミネートされた。
新作の『東京公園』が、三浦春馬を主演に2011年公開。舞台初演出となる作品「グレンギャリー・グレン・ロス」(出演:石丸幹二、坂東三津五郎 他)が、2011年6月10日~19日天王洲 銀河劇場にて公演(同じく6月、北九州芸術劇場、兵庫県立芸術文化センターでも公演)された。
石井 聰亙(いしい そうご1957年1月15日 - )/石井 岳龍(いしい がくりゅう)は、日本の映画監督。神戸芸術工科大学教授。福岡県福岡市生まれ。福岡県立福岡高等学校、日本大学藝術学部卒。1976年、日本大学芸術学部入学直後、8mm映画デビュー作『高校大パニック』を撮り、熱狂的な支持を得る。続く1980年『狂い咲きサンダーロード』でジャパニーズ・ニューウェイブの急先鋒となる。1982年『爆裂都市 BURST CITY』を発表。斬新で前衛的なアクション映画を撮り続け、1984年の『逆噴射家族』はイタリアの第8回サルソ映画祭グランプリ等、国内のみならず海外でも高い評価を受ける。また、自らがボーカルをつとめるバンド「石井聰亙&バチラス・アーミー・プロジェクト」で音楽活動も行い、自作映画『アジアの逆襲』の音楽を担当して、同題名のレコード・アルバムも発売した。その前後からジャパニーズパンク/ニューウェーブシーンと共闘した数々の音楽ビデオと実験的短編映画製作に打ち込み、1994年の『エンジェル・ダスト』(バーミンガム映画祭グランプリ)、『水の中の八月』(1995年)、『ユメノ銀河』(1997年・オスロ映画祭グランプリ)と作品を発表。 続いて、時代劇とSFXを融合させた超大作『五条霊戦記』(2000年)が公開された。21世紀に入ってからは、映画のジャンルを超越したハイパーエキサイトムービー『ELECTRIC DRAGON80000V』(2001年)、『DEAD END RUN』(2002年)を発表。2005年には、フルデジタル機材を使用して制作した『鏡心・3Dサウンド完全版』を発表、全国上映ツアーを行った。2006年、監督生活30周年を迎え、記念の初期作品集が発売された。彼のデビュー以来の鋭い表現手腕は、映画に留まらず、ミュージッククリップ、ビデオアート、写真、ライブ活動等、様々なメディアで発揮され続けている。尖端的な音楽と、風景や光の情景をミックスさせた映像表現手法は、「実験的」と評されながらも、特に同じ業界の人間や、アーティストからの評価が高いことでも有名。2010年1月17日、公式ブログで、今後は石井岳龍の名前ですべての活動、仕事を行うと発表。