〈鯨〉という舟の出航、遠い海辺への旅路

是恒 さくら

2021年は、私にとって刺激的かつ不安定な日々として始まりました。2021年の3月からノルウェー・オスロに1年間赴く計画がありました。私が国内外各地で続けてきた、鯨をテーマとするリサーチと作品制作のためでした。滞在許可も発行され現地の住居も契約し、渡航を心待ちにしていましたが、2021年の年明けからノルウェーの入国規制が厳しくなり、渡航の見通しが立たなくなってしまいました。2021年春まで住んでいた宮城県仙台市の住居を解約してしまっていた私は、北海道札幌市で仮住まい生活を始めました。半年後、渡航計画の中止が決まったことから、2021年の初秋、北海道苫小牧市への移住を決めました。ノルウェーでの一つの大きな計画は一旦中止となったけれど、数年前から北海道で追いかけてきた「鯨の骨が作り出す風景」というテーマに向き合うとともに、鯨を通じて考えられること、海外へ伝えていける共通の物語を探ろうと考え始めました。

人の移動が船に頼っていた時代は、世界を旅することは今よりずっと困難でした。そんな時代に、人はどんな風に世界を見ていたのでしょうか?16世紀に北欧で使われていた「カルタ・マリナ(Carta marina)」という海図があります。当時の海図には、不思議な姿の生き物たちが描かれていました。船より大きなウミヘビ、するどい牙の生えた鯨、巨大なザリガニなど、誰も見たことのないような生き物です。海が未知の世界だったから、人々は船乗りや旅人たちが伝えた物語や言い伝えから、そんな生き物がいると想像したといいます。遠くの国へ旅することも、世界の全てを自分の目で確かめに行くことも難しかった時、想像力は世界を広げる力だったのです。

歴史を通して、人々が海を渡り世界を旅する動機として資源の確保は重要です。かつて世界の国々を巻き込み大々的に行われてきた捕鯨もその一つです。鯨の多い海域や物資の補給に便利な土地に各国の捕鯨船が訪れるようになると、海を超えて伝えられるものも当然、増えていきました。そうしたネットワークが残した風景の名残に日本各地の海辺で出逢うことがあります。象徴的なのは「鯨骨鳥居」と呼ばれるもので、私は和歌山県の太地町と宮城県の南三陸町で目にしたことがあります。鯨のあご骨か肋骨で作られることが多く、背が高く緩やかな弓形の骨を、先端が離れたアーチのようにして立たせ鳥居にしています。こうした鯨骨鳥居は1900年以降から日本の捕鯨に関わる場所で見られるようになっており、ノルウェーには同様の形をした「鯨骨門」があることから、捕鯨船に関わっていたノルウェー人から日本へ伝えられ、日本では神社の鳥居として変化したものと考えられています。

 

かつての鯨骨鳥居(北海道登別市刈田神社)

 

宮城県石巻市の牡鹿半島の鮎川浜では1900年代の始めには大きな捕鯨の事業所ができており、ノルウェー式捕鯨の砲手としてノルウェー人が雇われていました。かつて鮎川浜の捕鯨会社の敷地内には、背の高い鯨の顎の骨2本を対にして作った鯨骨門もあったことが当時の写真からわかっています。今となっては日本各地で見られる鯨骨鳥居とノルウェーの関わりを知る人は少ないでしょう。そして鯨骨鳥居そのものが、土地によっては懐かしい風景になっていることもあるようです。私が北海道を歩く中では、登別市の刈田神社にかつてあった鯨骨鳥居の写真と、実際に鳥居として使われた鯨骨に出逢いました。

 

祀られている鯨骨(北海道登別市鷲別神社)

一方、同じ登別市の鷲別神社では、鯨の骨が「鯨明神」として祀られていることを知りました。偶然海辺に座礁した鯨が、人々の食料となり地域に富をもたらした、積極的な捕鯨とは異なるかたちの「人と鯨の関わり」を伝えるものです。おそらく椎骨(背骨)と思われる骨の塊はとても小さく崩れ落ちそうで、静かな神社の一角で忘れかけられているようにも見えました。北海道では苫小牧や、東北の三陸沿岸部でも同じように鯨の骨を祀り、食料となった鯨への感謝を捧げ、大漁を祈願した場所があることもわかっています。また、かつてこうした土地で盛んだったイワシ漁の現場では、鯨が「イワシを連れてきてくれる」縁起の良い存在とも考えられていました。

鯨の骨に触れながら、同じ土地でも異なる記憶の層が見えてくることに、私は胸の高鳴りを覚えます。鯨を通して見えてくる物語は、日本の陸地を離れて、どこかで遠くの海辺につながっている。それは、かつて人々が船で旅をした大海原の向こうへと続いてゆくはず。今、私が住んでいる苫小牧の海辺で出逢う物語を遠くへと伝えていくとしたら、鯨は「舟」のように私を導いてくれるだろう。そう考えながら、苫小牧での執筆・制作活動に取り組んできました。

鯨の骨の影をなぞる(苫小牧市美術博物館)

 

苫小牧市美術博物館では、約6,000年前のものと考えられる鯨の骨に出逢いました。その骨の影を写し取ると、骨の輪郭だけが残ります。2021年の夏から秋にかけて、私は苫小牧の海辺で集めた植物や小石、流木、網、ロープなどの漂着物を使ってサイアノタイプ(日光写真)の布をたくさん作りました。海辺の日光によって青く浮かび上がった植物や漂着物の影は、海そのものを写し取ったかのようでした。サイアノタイプの青い布を切り、鯨の顎の骨の形にパッチワークしていくと、一艘の船のような形が生まれました。

「せんと、らせんと、」6人のアーティスト、4人のキュレーター(札幌大通地下ギャラリー500m美術館)

 

私は2016年から『ありふれたくじら』という小冊子のシリーズを継続的に発行しています。国内外のさまざまな土地で鯨やイルカと関わる人たちに会い、鯨に関わる体験談や伝承を聞き集めてまとめ、刺繍の挿絵を添えた日英2言語の読み物です。新型コロナウイルス感染症の拡大は人と人の関わりをこれまでと違うものに変えました。そんな日々の中でも絶えず続いてきた活動であり、私が一層可能性を感じているのが、「本」の形の表現です。2021年から2022年にかけて私が北海道内で出逢った鯨の骨をめぐる旅。それは、日本とノルウェーの関わりを呼び覚ますものでした。旅の記録と作品はオンライン・ブックとしてまとめており、2022年3月頃に完成し、広く発信していくつもりです。そうして始まる、新たな鯨の旅。きっと、私を遠くの海へと導いてくれるでしょう。

是恒さくら「鯨を解き、鯨を編む」、糸・布、2021年、せんだいメディアテーク開館20周年展「ナラティブの修復」、提供:せんだいメディアテーク、撮影:小岩勉

 

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*プッシュ型支援プロジェクト#TuneUpforECoC 支援アーティスト*
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