コラム
Column「音楽に対する目覚めと文化交流」
ベルギ-・モンスでの芸術祭参加
「子ども達が音楽を通して、ヨーロッパの子供たちや聴衆の人々と交流する」という貴重な機会をいただき、モンスに本拠を置くベルギー・リトル・シンガーズはフランス語圏で活躍する児童合唱団、フランダースのカンターテ・ドミノはフランドル語圏。その二つの合唱団と日本の児童合唱団が共に歌うにあたり、日本の児童合唱団ピッコロが、何を歌い、また合同曲に何を選ぶかが、今回の欧州文化首都モンス2015に参加する貴重な意義となると考え、どのようなコンサート・プログラムを組み立てるか思考しました。日本語の合唱曲は、日本では震災へのシンボルである「唱歌ふるさと」など合唱団に馴染みの曲を考えました。また日本の児童が歌える外国語のレパートリ-を考える時、オランダ語・フランス語は夫々の合唱団に委ねることになる。日本の児童にとっては、英語の方が馴染みの多い言語のため、「英語」の歌を選ぶことにした。そこで、アーロン・コープランド作曲のアメリカの子供の歌を2曲演奏することにした。また2015年は特別な年でもあります。それは、第二次大戦終戦70周年であり、ナチの強制収用所の解放70周年にもあたります。その犠牲者を悼み、子供たちの未来に明るく平和な世界を求めて、ジョエル・ハ-デイク作曲の“I never saw another butterfly”を選曲した。収容所の中で創られた、異なった言語の詩五編を英語に統一した歌詞に作曲されました。この曲では、ブルッセルからオ-ボエ奏者を迎え、音楽的な刺激を経験した。合同曲の選曲では、カンターテ・ドミノの指揮者は、モンス生まれの作曲家オルランド・ディ・ラッソのラテン語の曲「やまびこ」を選曲し、ベルギー・リトル・シンガーズの指揮者は、フォーレ作曲のフランス語の「ラシーヌ賛歌」を選曲した。益子はモーツアルト作曲のラテン語の曲「ミゼリコルディアス・ドミネ」。それぞれ選曲した曲の指揮をした。今回の企画では、日本の子供たちがフランダ-スとワローンの文化的橋渡しの役割を担うと同時に、ヨーロッパ文化を肌で感じる機会を得た。
フランクフルト空港で手荷物検査やパスポート・コントロールが非常に混雑して、乗り継ぎ便に間に合わない事態が起こった。28名が乗れる便が無く、最終便にやっと24名が乗れたが4名がフランクフルト空港で夜を明かし、翌日の便を待つことになった。子供たちが疲労困憊で、ブリュッセルに到着した時には真夜中になっていた。ブリュッセルの空港では6時間以上、関係者・ホストファミリ-の代表が我々を待ち、アールストでは、歓迎会のメンバーが食事を用意して待っていてくれていたが延期。その「歓迎会」は数日後に改めて行われたが、暖かい心遣いに感謝と感動した。アールストでカンタ-テ・ドミノの関係者の家庭に子供たちがホームステイしたのであるが、出発前は、「知らない家庭に子供だけでホ-ムステイさせる」ことへの不安。「言葉」が話せない。「食べ物」は子供たちに合うのだろうか?等々、心配でいっぱいの父兄達であった。しかしホストファミリ-に毎日練習場所へ送送してもらう子どもたちの表情には、少しづつではあるが微笑みが表れていった。2日目は、中等部の生徒たちが「国際交流」の授業の一環としてゲントの町の歴史に関して研究発表をしただけではなく雨の中にも関わらず、現地を案内してくれた。「言語」の話、「オランダ語圏の歴史的流れ」、「美しい街並みや重要建築物」、「城塞や教会の街なみ」など多くを学んだ。
合唱団について
今回は、ほぼ同年齢のフランドル語を話すアールストの「カンタ-テ・ドミノ」、フランス語を話すモンスのベルギー・リトル・シンガーズと、日本の児童合唱団ピッコロが共演し、異なった言語や異なった文化と音楽的背景の子供たちが、この交流を通して一つの「音楽」を創り上げた。各合唱団独自のプログラムでは、それぞれの文化的特徴が現れ、カンタ-テ・ドミノ、ベルギー・リトル・シンガーズの両合唱団ともに、教会のチャペルで、その響きに合ったレパ-トリ-と響きに合った発声や和声感・フレ-ズ感を演奏で発揮していた。ピッコロのメンバーは、初めて壮大な大聖堂の響きを体感し、音楽と「演奏の場の響き」を味わうことが出来た。三合唱団合同の演奏も行われた。一回目はアフリゲム修道院での演奏会を行い、二回目は芸術祭の一環として、モンスのサン・エリザベス大聖堂で演奏会が行われた。両会場とも満員で立ち見の聴衆であふれ、演奏は大好評であった。カンターテ・ドミノは、アールストの聖マルティヌス小学校の男子児童と卒業生で構成されていて、ほぼ毎日学校で練習を行っている。それに較べるとベルギー・リトル・シンガーズのメンバーは、ナミュールやブリュッセルなど、車で一時間くらいの地域の異なった小学校からで集められ、ナミュールやブリュッセルの練習会場でその地域の子供たちは練習し、月に数度、モンスに集まり全体練習を行うようである。ベルギ-においても、サッカーなど運動系のクラブと競合して、合唱メンバーを確保していく困難さは、日本と共通していると指導者たちは話していた。
演奏に関して
両合唱団共に、男声声部は卒業生の成人メンバーに依存する事になる。今回の合同演奏では、カンタ-テ・ドミノ指揮者アンドリース・デ・ヴィンター氏、及び、レ・プテイ・シャンティ-ル・ドゥ・ベルジーク指揮者のアンソニー・ヴィニェロン氏が、夫々の合唱団を指揮するだけでなく、筆者の指揮する合同演奏、「ミゼリコルディアス・ドミネ」では、それぞれがテノールとバスでアンサンブルの中心となり、子供たちと共に歌うことで参加してくれたことで、混声合唱としての声のバランスが良くなり、大好評を得た要因の一つであった。両指導者に感謝!アフリゲム修道院へ出発する時に、筆者が足に怪我をした為、車椅子での移動及び指揮となり、関係者に心配をかけ、心苦しい状態であった。しかし子供たちは演奏に関しては集中し、堂々とした舞台を繰り広げてくれたことに、指揮者として感謝した次第です。今回は、様々な困難があったが、練習を共にすることから得られる音楽に対する目覚め、そして、ホ-ムステイや同じステ-ジで演奏する経験など、素晴らしい文化交流は出来たと思います。