コラム
Columnインスタレーション「MERELE(海へ)」
インスタレーション「MERELE(海へ)」はLIFT11アーバン・インスタレーション・フェスティバルへの参加作品として実現された。このフェスティバルはエストニア共和国のタリン市において開催されている2011年欧州文化首都の一環として企画されたものであり、タリン市内のパブリックスペースにおいてアート、建築、ランドスケープ、デザインの範疇にまたがる仮設のサイトスペシフィックなインスタレーションを通して、空間体験を提供したり都市空間に批評的もしくはユーモアのある提案をすることをもくろんでいる。この「MERELE(海へ)」は昨年秋に開かれた公開コンペを通して選ばれた案である。
公開コンペの要綱では提案と場所の選定は応募者にゆだねられており、私はすぐにLINNAHALL(リンナ・ハル)にインスタレーションをすることを思いついた。2001年夏にエストニアに渡ってすぐに出会ったこのリンナ・ハル(市民公会堂)には格別な思い入れがある。それはこの建築のもつ特徴から来ている。旧市街のすぐ脇の港の一角にそびえる、一見丘のような建造物。階段ピラミッドを思わせるような構成と明快なコンセプト。英訳ではCITY HALLとなり市役所、旧市街にあるタウンホールのなどと混同するような名前。暖かくなれば人々が集う場所になる、落書きだらけの打ち捨てられたようなソ連時代の遺物。眺めのいいリンナ・ハルの屋根にはよく足を運び、私の好きな場所のひとつであったからだ。
リンナ・ハルはエストニア人建築家Raine Karp(ライネ・カルプ)とRiina Altmäe(リイナ・アルトマエ)によって、1980年のモスクワオリンピックの際にタリン市で開催されたレガッタ競技に合わせて設計されたものである。ソ連時代は港湾施設はすべて軍事機密として扱われており、一般の市民は海辺への立ち入りは禁止されていた。このリンナ・ハルが海辺に出来たことによって、タリン市民がソ連併合後40年たって初めて自由に海を見にいくことができたのだ。そのときに人々が感じたであろう自由への気持ちを考えるとたまらなくなる。現在タリン市の所有だが、去年から閉鎖されて現在新しい使い方を模索中であり、突貫工事のために犠牲にされた施工クオリティーやそれにともなう高いメンテナンス費用、ソ連時代を彷彿とさせるスケールなどのネガティヴなところが卓越し、人々から忘れかけられているこの自由へと繋がる意味や歴史的な意義をインスタレーションを通じて再体験、そして再評価してみたいと考えた。
アーバニストとして建築や都市へのプロポーザルをするにあたって心がけていることがある。それは最小限の干渉で最大限の効果を得ることだ。場所の特徴を生かすためには、一番効果のあるところに針治療のようにピンポイントで取り組むことが重要であると考えている。
さて、コンペ案は18メートルの高さの階段を工事用の足場を用いてリンナ・ハルの屋根の中心(海側の階段と町側の階段の間の平らな部分)に作り20年前の自由を発見する行為を再経験するというものだった。リンナ・ハルの特徴である階段を拡大解釈し、そのスケールに合わせて計画した。しかし設計途中に構造設計者と共に既存の屋根組みの中にもぐり現況を調べ、保存されている施工図をもとに計算した結果、既存の屋根の上には4メートルの階段を建てるのが精一杯で24時間監視員を貼り付けて人数を制限しないといけないとなった。それでは自由の価値を考えるという、もともとのコンセプトに相反することとなってしまう。インスタレーションのオープニングを約一ヵ月後に控えていたが、この時点で妥協して小さな階段に設計変更をするか、それともインスタレーション自体をやめるかという選択をせまられてしまった。
そんなある朝、リンナ・ハルの屋根に上り、海側の階段の脇で日光浴をしているところにアメリカ人カップルが町側の階段からやってきた。バックパックを背負った彼らは、海側の階段に到着するなり「わー」と叫び、階段足元にあるフェリー乗り場に駆け下りていった。そこで気がついたのはこの海側の階段に到達する道行とその到着の瞬間、これこそがこの建物の一番強いメッセージだということ。これこそが自由に繋がるインスタレーションをすべき最適の場所だと確信した。常に心がけていたはずの「最小限の干渉で最大限の効果を得ること」を忘れてしまっていた自分に気づかされた。大きなコンテクストに対抗するためには大きな干渉が必要ではないかと考えてしまい、「相手」のささやきに声を傾けることをおろそかにしていたのだと。
この確信を得た私は急遽計画を変更し、急いでフェスティバルのキュレーターにスケッチを見せたところ彼女もいいと同意。「海へ」というタイトルのとおり、海側に張り出すように木造のプラットフォームを既存の階段の上に設置することになった。法律的にはアートプロジェクトではなく仮設建築になるために必要になった建築許可を得る手続きのために、構造設計家とまとめ上げたプロジェクトを手に奔走する毎日が続いた。胸をはって答えられる強い確信ができたので、その後続く設営中も大工や職人たちと早くからビジョンの共有が出来た。
いま振り返ってみると、完成したインスタレーションは、コンペの際のオリジナルのプロジェクトに比べてずいぶん小さなスケールになったものの、最大限のポテンシャルを獲得することができたと思う。さらにアーバニストは、よい医師のごとく解決策を与える前に患者に耳を傾け観察をせねばならないという自負の再確認ができた。
◎第19回EU・ジャパンフェスト:「都市空間インスタレーションフェスティバル「LIFT11」:建築家・近藤哲雄氏、ハヤシトモミ氏参加」プログラムページは コチラ