コラム
Columnコロナ禍の欧州へ 事務局・古木の訪問記(その6)
近隣地域と一体となり、世界と連帯することとは。
コロナ禍にあって、クロアチアは欧州のなかでも最も厳しい都市封鎖措置に踏み切っていた。しかし、与えられた試練が厳しいほど、人間はたくましくなれるものだ。地元の音楽家イヴァ・モシボブは、コロナ禍での活動に関しこう述べている。「リエカのアーティストは頑固です。彼らはいかなるものにも邪魔をさせません。困難な時代にアーティストはインスピレーションを得ます。」
これまで何度か紹介したが、ロックダウンの最中、欧州文化首都はオンラインで世界を結んだ。その結果、市民や地元アーティストは、様々な物理的な制限をたやすくすり抜け、国境を越えて英知を集め、対話を重ね、プログラムの内容を掘り下げた。この間の蓄積はコロナ収束後に必ず生かされてゆくことは間違いない。
さて、リエカでは世界からのアーティストが参加しての大規模なイベント実施が難しくなった。それだけに小さなプログラム、とりわけリエカと近隣自治体との取り組みに注目が集まり存在感を増していた。その一つが、アドリア海に浮かぶ小さな島「ツレス(Cres)」でのプログラムである。今から5年前、リエカが欧州文化首都のタイトルを獲得すると、近隣地域との協力プログラム「27 Neighborhood Program」をスタートさせた。人口3,100人のツレス島でも、島民による議論が始まった。そして、多くの島民が参加しての検討を経て下した結論は「ツレスの港に橋をかけよう。」であった。
船でツレス島へ向かう
この島を取り巻くダルマチア地方はローマ帝国に始まり、ヴェネチア共和国、ハンガリー王国、ナポレオン、オーストリア帝国と2000年もの間、次々と支配者が変わった。その後、第2次世界大戦後は、ユーゴスラビア、そして1991年からはクロアチア共和国となり現在に至っている。
リエカ滞在中、欧州文化首都のチームがツレス島へ案内してくれた。リエカ市内から車で一時間ほど南下。それからフェリーで島へ。現地では、このプログラムのまとめ役で地元博物館の学芸員インゲ(Inge)さんを始め、関係者の皆さんが待っていてくれた。「パンデミックのなか、よくぞ来てくれた。」とあたたかな笑顔で私を迎えてくれた。早速、ツレスの古い町並みの狭い通路を歩き回りながら、この地方を支配した各時代の建築を見て回った。市街地自体がこじんまりとした博物館そのものであり、異なる文化が見事に調和していた。やがて、私たちは港に到達。前方にはアドリア海が広がり、真夏の太陽が惜しげもなく降り注いでいた。港は入江に沿って発達しており、両岸には所狭しとヨットが停泊していた。
案内をしてくれたRijeka 2020とツレス島のみなさん。左から2番目はマリン副市長、右から3番目が学芸員のインゲさん。
彼らが下した結論は、港の右岸と左岸を結ぶ橋をかけようというものである。彼らの思いは、深い歴史に刻まれた景観と調和する超現代的な橋をかけることであった。インゲさんたちは、インターネットを駆使し、ありとあらゆる建築家の情報を検索した。その結果、世界的に活躍し、これまでに実績を重ねた数人の日本人建築家が候補にあがった。驚くのはそこからの彼らの行動力である。お目当ての建築家たちに直接連絡を取り、協議のため日本へやってきたのである。滞在中、数名の建築家と協議を重ね、それらの情報を島へ持ち帰り、最終的には島民の投票で気鋭の建築家 近藤哲雄さん(Tetsuo Kondo)が選出された。
橋のプラン(©Tetsuo Kondo Architects/Rijeka 2020)
実は、近藤哲雄さんは過去の欧州文化首都に招聘されていた。もっとも記憶に残っているのは、2011年の欧州文化首都タリン(エストニア)での建築プロジェクトだ。近藤さんは何度も現地に足を運び、地元市民の話に耳を傾けた。彼が注目したのは、森に対する市民のネガティブな感情だった。1991年、エストニアは半世紀にわたるソ連からの占領から再独立を果たした。長い間、エストニアの深い森は、フォーレストブラザーと呼ばれる反政府ゲリラが暗躍し、当然のことながら、ソ連軍は厳しい警戒態勢を敷いた。市民たちが森へ入ることは銃殺されることに繋がった。このような歴史が背景にあり、再独立から20年が経過し、自由を手にした2011年でも森に入ることへの市民の恐怖感は拭い去ることはできなかった。
近藤さんは、そのような市民感情に寄り添った。そして、タリン近郊の森にある何本もの大木を結んで回廊を造った。連日、多くの市民たちが長蛇の列を作り、この回廊での散歩を心から楽しんだ。森の中を自由に歩き回れる感動を味わったのである。この実績がツレスの島民の心を動かしたに違いない。近藤さんのデザインは完成した。コロナ禍で建設は延期となっているが、近い将来ツレスの歴史の中でも燦然と輝くモニュメントが出現する日が楽しみだ。
タリンの「A Path in the Forest」©Testuo Kondo Architects
日本では過疎と言われるような離島で、このような斬新な取り組みが展開されている姿に欧州文化首都の底力を感じた。現代において、ローカルとグローバルはコインの裏表。当事者たちの熱意があれば、芸術文化には地域格差はないことをこのプログラムは見事に証明している。
※次回は9月26日