コラム
Columnコロナ禍の欧州へ 事務局・古木の訪問記(その10)
セルビアで見つけた多くの「氷山の一角」
この「氷山の一角」という言葉、一般的には社会に根深くはびこる不正や腐敗など、好ましくないことの一部が見え隠れしている場合に使われる。連日メディアやSNSが伝える情報の多くはBad newsであり、洪水のように押し寄せるBad newsが与える心理的影響は無視できない。しかし、私達にとって現実に世の中に存在する心温まるGood newsも大切なのだ。先日も書いたが、世界の人口77億人には、それぞれ毎日何かしらの77億通りのGood newsがあるに違いない。それが、戦場で見つけた野に咲くユリの美しさに心動かされたことであっても、思いがけなく掛けられた優しい言葉であっても、それはGood newsだ。「氷山の一角」は、好ましくないことに使われることは承知しているが、良い氷山もある。ノヴィ・サドには、「素晴らしい氷山」の一角が存在しているのだ。
ノヴィ・サドが欧州文化首都に決定してからの5年間、私は度々この地を訪問しているが、その度に、長い時間をかけて培ったセルビアと日本の友情や信頼関係が数多く存在していることを知った。2011年、東日本大地震と津波により、大きな被害と多数の犠牲者が出た時、欧州のなかで真っ先に支援の手を差し伸べてくれたのがセルビアの市民だった。私は4年前、初めてのノヴィ・サド訪問を前にして、元駐セルビア大使で退官後もセルビアとの民間交流に力を注いでおられる角崎夫妻にお会いした。お二人から様々な貴重な話を伺い、人と人との深い人間関係や協力関係の数々を教わったことも大変有意義だった。
ところで、4年前から欧州文化首都プログラム作成のために、ノヴィ・サドから毎月のようにアーティストや芸術関係者が来日した。当委員会は、彼らの来日を「リサーチトリップ」と名づけ支援を行ってきたが、彼ら自身も、この取り組みを「KIZUNA」プログラムと新たに名付けた。この言葉は、日本語で人と人の結びつき、支え合い、助け合いを意味する。単なる条件の交渉や情報交換だけでなく、もっと深いところで、精神的な理解、尊敬が伴うことを目指したのだ。美術、映画、現代音楽、クラシック音楽、青少年、哲学、アニメ、文学、ダンス、人形劇、武道、能、演劇、ボランティア活動、デジタルアート、建築等、分野は様々だ。今回の訪問でも「KIZUNA」プログラムの参加者、そして、コロナ収束後の参加を心待ちにしている多くの方々に会い、彼らの熱い思いを聞くことができた。コロナ禍にあって、アートの世界的連帯は強まった。行動制限は、私たちにより深く考える機会を与えてくれたし、その考えや思いは必ず長期に渡って意味が出てくるであろう。彼らとの会話を紡ぎながら、日本とノヴィ・サドの取組は、欧州文化首都が終了した後もさらに継続、発展してゆくものと改めて確信した。土地を耕し、種をまき、苗から樹木へ育て、やがて広大な森林が生まれることを願うような、息の長い活動と欧州文化首都の使命が重なるとノヴィ・サドで改めて実感した。
※写真は、今回の訪問で私と熱い話し合いを行ったノヴィ・サドの皆さんです。次回は10月4日。