コラム
Columnコロナ禍の欧州へ 事務局・古木の訪問記(その16)
帰国便、まさかの搭乗拒否
ノヴィ・サドから広々とした田園地帯を走りベオグラード空港へ、とても快適なドライブだった。約1時間半の道のりの間、ノヴィ・サド2021の運転手ジョルジュ(Đorđe)さんとおしゃべりを楽しんだ。この夏、国外への旅行は難しかったが、それだけに国内旅行の人気が高まり「セルビアの素晴らしさを再認識したよ。」とジョルジュさんは誇らしげに語ってくれた。オフィシャルなミーティングだけでなく、プライベートな会話から、この国の歴史や生活について、より楽しく、より深く知ることができた。この5年来、そんな会話をセルビア訪問で重ねている私は、すっかりセルビアのファンになってしまっている。やがて空港に到着。ジョルジュさんともここでお別れ、感謝の気持ちでいっぱいであった。
スーツケースを転がし、オーストリア航空のカウンターへ。私のフライトは、ベオグラードからウィーン経由でフランクフルト、乗り継ぎで羽田に向かうことになっていた。カウンターでeチケットとパスポートを提示したところ、書類を目にしたスタッフの表情が曇った。彼女は、後方に控えていたマネージャーらしき男性に助けを求めるようにやり取りを始めた。彼は頭を左右に振った。私には何の不備もないはずだが、いやな予感がした。やがて、彼女は思いつめた表情できっぱりと私に言った。「あなたの予約は、EU域外のベオグラードから、EU内のシェンゲン協定国のウィーンとフランクフルトを乗り継ぐことになっています。同日にシェンゲン内で乗り継げるのは1都市のみ。これはEUからの通達です。従って、ベオグラードからフランクフルトへ直行便で飛んでください。ただし、残念ながら本日のフランクフルト便はありません。」思わぬ事態に私は直ちに反論。「オーストリア航空は、その通達があるのに何故、飛行不可能な予約を受け付けたのか?」私は納得できない。極めて穏やかな口調で話したつもりだったが、恐らく私の表情は必至の形相であったに違いない。Mr.マネージャーは、首をすくね「私たちは、チェックイン対応の職員でオーストリア航空のスタッフではありません。」と逃げ腰。「では、オーストリア航空の責任者と話したい。」と私は食い下がった。しかし、しばらくして現れた責任者も同様の対応を繰り返すばかりだった。
ベオグラード空港まで送ってくれたジョルジュさん。その後とんでもないことになるとは・・・
状況がさらに深刻だったのは、「ここでは予約変更を出来ません。チケットを発券した日本の旅行代理店で変更を行ってください。」彼らの対応はにべもない。日本はすでに午後9時、すぐに東京へ連絡したが閉店時間を過ぎている。確かなことは、今日は帰国できず明朝日本へ連絡し、新たなフライトを取り直してもらうことしかなかった。ノヴィ・サド2021のウラジミールさんに連絡すると、すぐにベオグラード市内のホテルを確保してくれた。
前述のシェンゲン協定とは、ヨーロッパの国家間において検査なしで国境を越えることを許可する協定である。EU加盟国以外でもノルウェーやスイスも協定に入っているが、セルビアは入っていない。その上、この時点でセルビアはコロナ感染の危険国リストに載っていたのである。欧州各国からセルビアへは入国可能であったが、セルビアから欧州各国への入国は出来ない状況だった。乗り継ぎで入国しないのだから良いのでは? 1か国の通過は良いが、2か国となるとダメとはどんな理屈なのか? 色々不可解なことに不満は募ったが、ここは天が与えてくれた予定外のベオグラード滞在の機会と考えることにしてホテルへ向かった。
その頃、日本は4月~5月の感染第1波を上回る第2波が襲っていた。死亡者数は世界でも少ないレベルにあったが、現実の脅威はコロナそのものより精神的な打撃であり、8月の日本の自殺者数は急増しコロナ感染死亡数をはるかに上回っていたのだ。私が何としてでも、早く帰国したいと考えたのは、この2週間、欧州社会の現場で実感したエネルギー溢れる人々の生きる姿勢を1日も早く日本の関係者、アーティスト、子供たちへ伝えたかったからだ。本年、國部実行委員長とともにアイルランドを訪問する予定だった北海道東川町の青少年の吹奏楽団のことが頭に浮かんだ。6月東川を訪問した際「アイルランドで公演やホームステイがめちゃくちゃ楽しみ。」と声を弾ませていた中学生の言葉が脳裏を駆け巡った。彼らにとって「夢」が具体的な「目標」になっているのだ。何としてでも、必ず実現させることが私たち大人の責任だと改めて痛感した。世界的パンデミックに対し、人間同士の連帯と行動が国境を越えて求められる。ベオグラード滞在中、東京の事務局と連絡を取り合い、帰国後の行動スケジュールをしっかりと練ることになった。
※次回は10月16日