コラム
Columnコロナ禍の欧州へ 事務局・古木の訪問記(その8)
不安のなかでのセルビア訪問
楽しかったリエカ滞在も瞬く間に7日間が過ぎ、いよいよセルビアへ向かう日が来た。リエカを出発する朝、駆けつけてくれた友人たちは一応に心配げな表情でザグレブ空港へ向かう私を見送ってくれた。
心配の理由は、感染の2波がセルビアに押し寄せたことだけではなかった。再び、夜間外出禁止令を出した大統領に若者たちが反発し、ベオグラードでは数千人規模の暴動が起きていたからだった。彼らの心配はとても有難かったが、何としてでも来年の欧州文化首都ノヴィ・サドの準備状況をこの目で確かめておきたかった。
ベオグラード空港に到着
セルビアはEUに加盟を果たしていないが、欧州委員会の意向により非加盟国から立候補資格が与えられていた。熾烈な欧州文化首都タイトル獲得の競争を経て、多数の立候補都市の中からノヴィ・サドが悲願のタイトルを獲得したのだ。
バルカン半島の国々は、6千万人という尊い命が犠牲となった第2次世界大戦が終了しても平和が戻ったわけではなかった。冷戦体制の中で苦難の時代が続き、1991年からは、ユーゴスラビア内戦が長く続いた。1999年にはNATOによる空爆が実施され、ノヴィ・サドでは軍事施設のみならず、民間施設も攻撃対象となり、市街地そして、ドナウ川に架かる橋はことごとく破壊された。
わずか20年前の大惨劇である。
1999年NATO空爆後のノヴィ・サド
それだけに2021年の欧州文化首都開催の決定は、ノヴィ・サドの人々にどれだけの勇気と希望を与えたのか計り知れない。日本に対しても、過去の開催都市に勝るとも劣らない深い関心を寄せ、これまでの数年間、毎月のようにアーティストやプログラム担当者の来日しプログラム策定のための協議が重ねられた。
ところで、今年はベートーヴェン生誕250周年である。人間賛歌「交響曲第9番」はEUの国歌となっているが、日本でも年末になると全国でこのコンサートが行われている。いわば、ベートーヴェンの音楽は世界共有の財産である。
「神がもし、もっとも不幸な人生を私に用意したとしても、私はその運命に立ち向かう」
ベオグラード空港からノヴィ・サドに向かう道中、私はベートーヴェンの遺したこの言葉を思い出した。それは、苦悩のなかでの戦いの日々が続いたノヴィ・サドの人々の心情がこの言葉に重なっていると考えたからだ。晩年は、聴力を失い、病魔や不幸の連続の中ではあったが、後世の人々に与えた勇気や感動は、今なお世界中の私達の心に存在している。
ノヴィ・サドに到着した私は、さっそく欧州文化首都を訪ね、CEOのネマンヤ(Nemanja)さんとプログラムディレクターのデュシャン(Dušan)さんと打ち合わせを始めた。パンデミックは、欧州文化首都開催にとって障害ではなかった。彼らの決意を一層強くしたと私は実感した。
次回は、ノヴィ・サドで熱く語り合ったことを紹介してゆきたい。
欧州文化首都ノヴィサド2021のネマンヤさん(左)、デュシャンさん(右)
※次回は9月30日