コラム
Columnデュッセルドルフで見つけた「最後のカケラ」
コロナウィルスは、私たちの暮らしを変えるだけではなく、思考そのものやその思考に基づく私たちの行動にも、大きな変化をもたらしました。時代と共に変化を続けてきたコンテンポラリーダンスの世界に生きる私たちは、この大きな波に挑む挑戦者のような気持ちで、ここ数年活動してきました。世界中の人たちがオンラインで気軽に出会え、空間は違えど時間を共有することができ、時にはパソコン上で作品を発表することもできる。そのために、これまで知らなかった映像技術を取得し、質の向上を目指しました。この開拓は私たちにとって決して悪いことではなかったと思います。
でも、どこかで満たされない最後のカケラが、常に胸に存在する。そう感じていたのも事実です。
約3年前に「またデュッセルドルフで君達のダンスが見たい」と言ってくれた日。それから実際に実現するまで、こんなに時間が必要になるとはおもいもよりませんでした。今年2022年。会場となるWELTKUNSTZIMMER が10周年を迎え、さまざまなアーティストが作品を寄せるイベントに、ようやく参加することができました。欧州と日本の感染対策の状況を観察し、一歩一歩を確かめるように進め、直前までキャンセルになる不安も抱えながらも、公益財団法人セゾン文化財団とEUジャパン・フェスト日本委員会の臨機応変なサポートのおかげで何とか実現。内容を2日間に絞ったワークショップと美術作品が展示してあるギャラリーでのパフォーマンスというとてもシンプルなツアーでしたが、私自身はこのプロジェクトの内容の何十倍も大きな気付きと感動を手にすることができました。
「舞踏」「ダンス」「身体表現」というキーワードで集った、経験も出身もバラバラなワークショップ参加者たちは、「私はダンサーじゃないから何も出来ないわ」と言っていたのは最初の数分だけ。あっという間に、鈴木ユキオの言葉に操られるように、どんどん思考と身体が自由になり、その人にしか生まれないダンスが繰り広げられました。それはとても丁寧で美しく、時が止まったように感じることが度々ありました。そして何より(鈴木ユキオのワークの特徴でもあるのですが)、自分が動いた感想や、人のダンスを見て感じたことを、皆が言葉で伝え合うことで、今ここで生まれたダンスをシェアすることの面白さ。「あー私もそれに気づいてた」「そうそうそこが美しかったよね」「なるほどそういう見方があるのね」と、感覚を身振り手振りで共有することこそが、ダンスのワークショップの醍醐味でもあるのです。画面越しでは得られない静かな興奮。踊る技術を習得することも重要ですが、人と人が共に同じことを感じながら身体を動かし、そこで起こったことを、言葉で共有することで、その人の世界はどこまでも広がっていくのです。そして、その世界の広がりは、隣にいる人の世界と重なり合って、さらに思考は深くなる。涙が出るほど有意義な時間です。
パフォーマンスでは、その感覚はさらに鋭くなっていきます。今回は、現地入りしてから、ギャラリー空間をどう使用するか、シンプルな機材で効果的な演出をする方法、すでに存在する美術作品の意図を汲み取りながら、さらなら表情を生み出すのはどうすればいいか、一つ一つ演出を考えました。頭で考えたものをただ上演するのではなく、空間や作品との交流で生まれるダンスです。これまで積み重なった場のエネルギーを感じながら「今のダンス」を紡いでいく面白さは、観客へと伝わり、唯一無二の緊張感ある時間が流れました。
SNSやオンラインで何度も会い、言葉を交わしていた、ディレクターやオーディエンス。コロナ禍に入り、以前よりも頻繁に「会っていた」と思っていたのですが、今回、直接会って、ダンスというツールで交流したことで、私はこれまで満ちることがなかった「最後のカケラ」が揃っていくのを感じました。世界はもっと広く、もっと深い。それは、自分達だけでは辿り着けないところまで広がっていて、他者と混じり合うことで、ようやくその入り口に立てる。それには、自分達が足を動かし、身体を動かし、思考し、それを言葉にすること。そして、ダイレクトに受け取ってもらい、その反応を肌で感じること。そこでは、やはり、ディスタンスは邪魔になるのですね。
私たちは、パソコン一つで世界と繋がれるツールを手に入れました。その上で、パソコンを手離し、お互いの領域、世界を侵食しあい、思考という世界を広げて深くしていくことの大切さ。どちらにも存在する危険性を認識しつつ、どちらにも依存せず、「世界を広げる」という行為に一番の道を常に選択しながら進んでいきたいと思います。
今回のデュッセルドルフツアーは、多くの人の応援とサポートによって実現しました。私たちは、心からその温かいサポートに感謝いたします。そして、今回のツアーのおかげで、来年以降のプロジェクトがいくつか実際に動き出したことがこれからの活動のモチベーションへと繋がりました。ダイレクトに会うためにはたくさんの無駄や犠牲も必要になるかもしれません。でも、それ以上に、効率や利便性だけでは満たされなかった「最後のカケラ」がそこに存在することに気づいた今、私たちは、不器用で無駄も多いかもしれませんが、それでも、多くの人の力を借りて、動き続けたいと思います。