ピルゼンの光

千田 泰広|アーティスト

昨年の同じ頃、ベネチアで作品の写真を展示した。それから一年が経ち、チェコで実作を 展示する機会に恵まれた。初めての日本国外での制作。しかも二週間で材料の手配から制 作、設置まで行うタイトなスケジュール。しかし自国で重ねた経験とチェコのスタッフの 手厚いサポート、現地の素材やエンジニアの尽力によって、想像を超える新たな作品へと 昇華させることが出来た。
早朝から深夜までスタジオで制作し、徒歩10分のアパートと往復する日々。初めに感銘 を受けたのは街並みの美しさ、そして夜の街が暗いことだった。オレンジ色の街燈の光、 それを静かに反す石畳。夜の良さというものがそこにあった。暗闇を大切にすることは光 を大切にすることと同じなのだろうか。または長い歴史の中で暗闇を乗り越えて来たのだ ろうか。また制作中に、スタッフから締切のプレッシャーを感じていないか?と聞かれた ことにも驚いた。日本では締切に間に合うかと聞かれることは日常だが、ここでは仕事で はなく作り手、人間が中心にある。結果はもちろん重要だがそれ以上に人を尊重する文化 を感じた。
現地には日本と同じ材料が無く、渡航前にオーダーメイドの手配もしてもらっていたが、 予算が膨らむこと、合理性から生まれる心地良さが材料に感じられないことから、何軒か の建材店を回り、現地で見つけた新しい素材で作ることにした。細部の小さな変更が、構 造、強度、制作方法、設計思想や美しさなど、様々なレベルに影響を及ぼす。それらを調 整しつつ何度も設計を修正していった。結果的に思ってもみなかった光の効果が得られ、 上手くいったように思う。

展示も間際になり音はどうするのかとディレクターに聞かれた。当初音響は想定していな かったが、数万人の来場者があること、フェスティバルの性質から、集中して鑑賞すると いうよりは、多くの人がリラックスして楽しめる方が良いと思い、選曲を考えた。作品に合い、イメージを限定せず、集中させながらも緊張感を強いないような、観客に対して自立した音と思うとなかなか見つからず、以前舞台で共演させて頂いた宮木朝子氏を思い出 し音源をお借りすることにした。その音源は小阪淳氏の抽象的な映像とセットだったので、 作品の外壁に映像をプロジェクションすることを思いついた。映像の投影は外壁を魅力的 にし、内側に予想の出来ない光の効果を生む期待をさせると同時に、映像の印象が強過ぎて作品が変質してしまう危険性を孕んでいた。
展示前日、照明のエンジニアと何時間も打ち合わせをし、照明の位置の調整を重ねた。夜の展示なので照明次第で全ての作業、スタッフの努力が報われるか、台無しになるか決 まってしまう。納得がいかず、度重なる変更に深夜まで付き合ってくれたエンジニアのプロフェッショナル精神には強く感じるものがあった。照明に関して無理を言った部分も あったが、作品の完成が見え始め、スタッフが予算の問題よりも重要だと直感し、調整を してくれたことも有り難かった。

展示の初日、夜6時を過ぎ展示が始まり、陽が落ち始めると人々が集まりだした。すっか り陽が暮れる頃には作品の行列は伸び、1時間程度の待ち時間が発生していた。嬉しい気持ちが半分、申し訳ない気持ちが半分だった。入口の大きさはチェコの人の体格が大きいこともあり、日本での展示の2倍以上の広さにしていた。茶室のように一旦かがんで入る 空間体験に拘らなかったのだが、これ以上小さい入口であれば待ち時間はさらに伸び、不親切な展示になっただろう。深い空間体験となることと、見る人に対するケアのバランスは難しい。今回2日間で4万人の来場者とのことだったが、これ以上の観客が想定される 場合、芸術性と別な部分で、新たな課題として動線の検討が必要だ。

心配していた音響と映像は、不思議なくらいに調和し、おそらく多くの観客は一つの作品体験として体感したのではないだろうか。音、オブジェ、光と演出が一体となり、どこま でが誰の仕事か分からないような親和性があった。素材の変更やプロジェクションなど、 現地で即興的に判断していった一つ一つ、全てがこの空間体験に向けて過去に周到に配置 されていたかのように思われた。
作品は評判が良く、体験は言語や論理を超えた、普遍的なメディアであると改めて確信を 深めた。観客が率直に感想を話しかけてくれたり、握手を求めてくれたりすることは新鮮 な体験だった。感覚や意見がそれぞれ違うことは当然であるから、自由な、そして自身の言葉に対する責任を持っているというのは、国境に囲まれた大陸の文化なのだろうか。
制作において、工具の小さな違いなどがあったが、鉄や木は同じように反応をし、技術は 世界のどこにおいても変わらない言語であることを確かめられた。そして自分の作り出し た作品という言語が、遠く離れた地で暮らす人々に自然に受け入れられ、喜んでもらえた ことは感無量だった。そしてこれらの体験と結果は、PLSEN2015のメンバーの心暖かい サポートによって実現された。滞在中は殆ど制作に追われていたが、限られた時間の中で もチェコの街並みと、人々の優しさを深く知ることの出来た三週間だった。