コラム
Columnベルギーと”やっちく松山藩”の交流がもたらしたもの
1 はじめに
7月6日,ベルギーのカンターテ・ドミノ少年合唱団のみなさん59名が松山町を訪れました。ソウルを経由して鹿児島入りし,2台のバスに分乗した合唱団 を,松山の人々はベルギーとフランダースの旗を手に町内各所で工夫をこらして出迎えました。鹿児島県松山町は人口5000人の小さな町です。その小さな町 が総力をあげて取り組んだ「国際青少年音楽祭inやっちく松山」はこうして始まりました。
2 「やっちく」・・・やっていこう,やっつけよう,やりとげよう
今回の「青少年音楽祭inやっちく松山」は,松山町,松山町教育委員会,NPO「やっちく松山藩」が協力して実行委員会を組織し,EU・ジャパンフェスト日本委員会のアシストで実施されました。
「やっちく」とは鹿児島の方言で「やっつける」とか「やっていこう」とか「やりとげる」などの気迫を込めた意味です。また,「野菜と畜産の町」という意 味もあります。”やっちく”はブランドとして松山町のさまざまな施設・商品に名付けられています。今回の音楽祭のコンサート会場は「やっちくふれあいセン ター」,最初にカンターテを出迎えた道の駅は「やっちくふるさと村」といった具合です。さらに子どもたちが受ける松山町の教育理念は「やっちく煮しめ教 育」と呼ばれています。
今回の,国際青少年音楽祭への取組はまさに,松山町民がみんなで力や知恵を出し合って「やっていこう」と手を取り合い,ヨーロッパとの初めての芸術・文化 面での交流事業をみんなで「やりとげよう」と力を合わせ,数々のすばらしい成果をあげることでみごとに「やっつけた」のです。
3 子どもたちの未来への種まきに
今回の音楽祭の話を,EU・ジャパンフェスト日本委員会にいただいた時に,実行委員会では,まず今回の音楽祭のねらいを話し合いました。それは次のようなものでした。
ヨーロッパの児童・生徒や音楽家との交流を通して・・・
・子供たちにすばらしい音楽を味わわせることで感性を磨きたい。
・すばらしい国際交流を体験させることで世界に目を向けさせたい。
・松山町から感性豊かで国際的な人材をたくさん育てたい!
これは言い換えると,今回の音楽祭を体験する松山のすべての子供たちに「未来への種まき」をしようということです。鉄は熱いうちに打てと言いますが,何 でも吸収できる青少年期にこのような音楽祭を体験することが,一人ひとりの子どもたちの可能性をどれだけ広げるかははかりしれません。そして,今回,この 「思い」が音楽祭を運営する大人たちの心の支えとなりました。
4 多くの出会いと手作りのもてなし
今回の国際青少年音楽祭では,実に様々な交流がなされました。
4月には,指導者・関係者間での交流を深めるために,「やっちく松山藩」の二人がベルギーを訪問しました。イープル市で開催されたカンターテ・ドミノ少年合唱団のコンサートを実際に聴き,マールティン中等学校を訪問,ゲイス神父や団員と交流を深めました。
また,6月には駐日ベルギー大使のジャン・フランソワ・ブランデルス氏が来町され,松山町長を訪問された後,松山中学校の全生徒との交流を深めてくださ いました。体育館での交流会では,大使自らがベルギーの紹介をしてくださいました。また,子供たちのベルギーに関する素朴な質問にも真摯に答えてください ました。松山の人々にとって,ブランデルス大使との出会いはすばらしいできごととなりました。
7月6日には前述のように,カンターテ・ドミノ少年合唱団が到着しました。やっちくふれあいセンターでの歓迎式,ホストファミリーとの対面式を通して, あっという間にカンターテのみなさんと松山の人々は仲よくなりました。ホームステイは”松山町らしく”を合い言葉に2泊3日町内30軒の家庭で行われまし た。
翌7日には,町内の全小・中学校をカンターテが訪問し,松山小学校,泰野小学校では習字や折り紙に挑戦し,松山中学校ではお互いの国をプレゼンテーションをしました。また,尾野見小学校では七夕集会に参加して短冊にそれぞれの願い事を書きつづりました。
そして,7日夜には800名もの観衆を集めてのコンサートがやっちくふれあいセンターで行われました。前半は松山中学校 吹奏楽部の演奏に始まり,アイルランドのクロフォード・ピアノトリオと仲間たちの演奏でした。そして,後半はカンターテ・ドミノ少年合唱団のすばらしい合 唱でした。途中,「上を向いて歩こう」を日本語で歌って下さったときには,大きな大きな拍手が会場にわき上がり,合唱を通して,ベルギーのみなさんと松山 のみなさんが一体となりました。そしてコンサートは「松山キッズ合唱団」とカンターテ・ドミノ少年合唱団による約140名の「せかいじゅうのこどもたち が」の大合唱で締めくくられました。「松山キッズ合唱団」はこの音楽祭を機に発足しました。町内の全小・中学校から88名の希望者で構成された松山キッズ 合唱団のがんばりもじゅうぶん賞賛に値するものでした。松山町は来年1月に合併して志布志市となります。12月に行われる閉町式では,町を締めくくる合唱 を「松山キッズ合唱団」が行うこととなりました。カンターテのみなさんとの出会いがこうして松山町に合唱を根づかせようとしているのです。
また,忘れてはならないのは食を通した相互理解です。松山町学校給食センターが学校給食にベルギー料理を出し,松山町の子どもたちもカンターテのみなさんも相互の郷土料理を食べる機会を得ました。
全ての催しの準備には,松山町の多くの方々が関わりました。ベルギーやフランドル地方の国旗一本一本の作成,カンターテのみなさんに配布した手作りの「手形」の作成,武者ライダーの手作りのかぶとなどです。
このように,松山町の多くの町民が,カンターテ・ドミノ少年合唱団のみなさんと多くの場面で接点を持ち,多くの出会いと交流をしたのです。
5 様々な交流が相互理解を深める
このような交流を通して,今回の音楽祭に参加したみなさんがそれぞれどのような感想を持ったのか,アンケートから拾ってみたいと思います。
●「すばらしい歌声に感動した。「上を向いて歩こう」の時には感動して涙が出そうになった。みんなとてもいい表情で歌っているのが印象的でした。私も一緒に歌ったとき,あんな表情をして,楽しく歌えたと思います。
(松山中学校2年生)
●生き方が変わった。何でもない日常が輝かしいものになった。二人が私たち家族に加わってくれたことで,人が生きていく上で何が大切なのか気づくことがで きたような気がする。それは相手のことを理解しようとする気持ちであり,伝えようとする姿勢だ。私たちはベルギーの言葉はもちろん,英語もほとんど話すこ とができませんでしたが,彼らの滞在中,家には笑顔があふれていました。豪華なもてなしはできませんでしたが,愛情だけはたっぷりこめたつもりです。ホス トファミリーの側の気持ちを家族で体験できたのはよかったと思う。身振り手振りで会話をしている間に,積極的だった自分を取り戻すことができたような気が します。
(ホストファミリー)
他のどの感想を読んでも同じような内容になっています。とにかく,直接ふれあうことが相互理解の基本であり,松山町においても多大な成果がありました。
また一方で,
●今まで経験したことのない,素晴らしい歓迎を受けました。全てをきちんと準備されていたと思います。ホームステイでの滞在も楽しく,日本で人々がどのよ うな生活をしているかを見ることができました。日本人のメンタリティーはヨーロッパの人のものとは全く違いました。いつも笑顔で親切でした。次回は,もっ と長く滞在できたらいいなと思っています。
(カンターテ・ドミノ団員)
また,別の団員は「東西の出会い・・・私たち西側諸国で失ってしまった誠実さを感じたことがすばらしくよい経験となりました。」と述べています。今回の 国際音楽祭では松山の子どもたちだけでなく,カンターテの団員一人ひとりにも未来への種まきができたようです。
6 おわりに
国際青少年音楽祭を終えて2ヶ月ほどたったある日,私は松山中学校に立ち寄ってみました。校長先生のお話では子供たちのベルギーに対する尊敬やあこがれ はますます熱を帯びてきているのだそうです。「友達4人でできるだけ早くベルギーに行けるように貯金をしています!」という女子生徒もいました。また,今 でもいくつかの家庭では電子メールでのやりとりが続いているのだそうです。わずか3日間の出会いでしたが,カンターテのみなさんのおかげで子供たちの視野 は大きく広がったようです。
今回の,国際青少年音楽祭は,鹿児島県内の松山町・三島村・鹿児島市の3市町村で行われました。同じ県内にいながら,この3市町村の市民レベルでの交流 はそう活発であるとは言えません。ところが,今回の音楽祭が縁となって,ベルギーのみなさんを仲立ちにした交流が生まれています。また,和歌山県のみなさ んと松山町の出会いもありました。ベルギーとの交流は,ベルギーと日本との交流だけでなく,ベルギーを仲立ちにして日本の地域間の交流を活発にしてくれて いるのです。
国際青少年音楽祭が今後も続き,さらに多くの日本人とベルギーをはじめとしたヨーロッパのみなさんとの交流の機会が広がり,それが地球規模での相互理解 につながるとしたら実にすばらしいことだと考えます。今回の音楽祭はその可能性を十分に感じさせるすばらしい催しだったと思います。
最後になりましたが,松山町にこのようなチャンスをくださった古木事務局長,鈴木智子氏を始めとするEU・ジャパンフェスト日本委員会の皆さん,ベル ギーフランドル交流センター館長のベルナルド・カトリッセ氏,カンターテ・ドミノ少年合唱団のゲイス神父,また参加された全てのみなさんに感謝をして筆をおきたいと思います。
「日本・ベルギー協会 会報 2005年11月30日 No.69」より