創作法の見直しからの新たな意欲

島地 保武

2020年2月横浜で行われたHOTPOTというダンスの見本市で音楽家/ラッパーの環ROYと共作共演の「ありか」を上演し好評を得て、2021年に3都市(ドイツ、イタリア、韓国)から招聘のオファーを受けた。非常に嬉しい出来事だった。

その後3月には富山とパリで「ありか」を上演した。コロナは感染拡大していて、富山では公演中止が危ぶまれる中、なんとかギリギリ本番をすることができた。パリでは、人々はマスクなどせず、ハグもキスもして普通に過ごしていた。しかし滞在中に、状況は深刻化していき、私達の公演は急遽客席数を減らしてなんとか上演できた。千秋楽の後に、マクロン大統領からロックダウン開始の演説があり、翌日から街を出歩く人々は消えて、私達は勇み足で帰国した。

それ以降、当然ながらパフォーマンスの機会は減った。参加予定だった、ウィリアム・フォーサイスの『A Quiet Evening of Dance』のアジアツアー、日本で出演予定の公演も8月までほとんどはキャンセルになった。2021年の「ありか」海外3都市ツアーも白紙となる。私の夢でもあった、自作での海外公演はコロナの所為で消えてしまう。軌道にのりかかった歩みが、予期せず、止められてしまった。とても悔しかったが、仕方なかったし、今できることをするしかなかった。

パリから帰国後、2週間の自宅待機で私は自分のテクニックを見直すことに時間を費やした。自宅用リノリウム、鏡、エアロバイクを購入し、基礎体力を落とさないようにしながら、インプロヴィゼーションのアイデアを自室やアパートの屋上や公園にて撮影していた。そして、その映像をグループLINEでシェアし、週2回ZOOMで無料WSを行い、アイデアの実験と検証をしていた。

秋あたりから国内でのパフォーマンスの再開はどうにか始まっていたが、感染の拡大しているヨーロッパをはじめとした海外に行くことは諦めるしかない、というのが、2020年だった。コロナ禍は自らのテクニックを整理するいい期間になった。そのことが今思うと、とても重要だった。脳内データ整理することで容量に空きが出来たようだ。2021年は、今立っている土地に目を向けはじめ、自作が変わりはじめてきたのもその頃からだった。

 

私はヨーロッパのコンテンポラリー・ダンスの洗礼を受けている。とくに、90年代後期のヨーロッパ・ダンスシーンに憧れていたし、私がモダン・ダンスとクラシック・バレエをはじめたのは1998年辺りなので勢いついていたヨーロッパのダンスの影響を受けるのは当然だった。正直、当時は日本のモダン・ダンスは古臭く、湿気があり、重たく、情念丸出しでダサいと感じていたのだった。(今は、そうは感じてません。)

しかし、2021年には、「ダサい」「カッコ悪い」「恥ずかしい」と感じていたことをあえてやるようにしていく。これまで避けていた、音楽、振付、空間、照明の使い方を用いることをコンセプトにし、感情的に表情をつけて踊り始めた。もう少し詳しくいうと、人気のポピュラー・ミュージックや有名なクラシックとジャズの名曲を使い、全身タイツを着て、正面を向きマイム的な振付で、スポット・ライトを浴びながら、感情丸出しで踊った。そうすることで、自身の固定化しそうな観念に揺さぶりをかけた。

あとは以前より、見る人に楽しんでもらいたいという欲が芽生えたのだろう。

 

ザ・フォーサイス・カンパニーに9年所属し、カンパニーが解散して日本に帰国してから7年が経つ。当然のことながら、日本にいる時間が長くなる。日本の巨匠振付家の石井みどり、佐多達枝の作品を踊り、笠井叡の新作クリエーションに参加し、日本のダンスの文脈に興味を持ち学び始める。自分も歳をとり、身体と思考も変化し、次第に踏む土地に興味を持つようになる。

そして、2021年4月より振付をスタジオのみでなく屋外で行うようにしてみる。平面と直線の多い構造物を避けることで、振付に変化を求めた。

土地の記憶は物語に綴られる。日本最古の物語『古事記』に記されている、土地を訪ね、奉られている神様の物語を知り、振付を考案した。

野外で振付け、スタジオでは調整し編集する作業を行うようにした。私は、物語の舞台となる土地に興味が湧く。想像を沸き立たせる、場が存在する。一般的にはパワースポットと呼ばれると思うが、その理由は、位置、気候、地質、匂いに依拠している。『場が物を語っている』それを読み取る観察力と身体の感受性を通して人に伝える。そういうシャーマン的な能力はダンスの本来の力の筈。2021年は私にとってダンスの起源とも言えるシャーマン的能力を高める時間だった。

ものつくりの起源を知っていくことは、環ROYと共作共演の「ありか」のコンセプトでもある。自国を旅して五感で土地を感じ振付をする経験は今後作品をアップデートしていく大いなる動機になっている。現在の新作の構想は古事記を始め日本文学を現代解釈し舞踊化しようとしている。これも今までに無かった考えである。その理由は、完成された物語により身体と振付が制約されるからである。抽象的なコンポジションが空間的方向の明確さに加え、感情の方向が明確になることで関係性に膨らみが生まれる。また、想像する役柄の骨格を分析して、自らの身体に投影して役作りをすることに興味がある。おそらく、この身体感覚を持ったノンバーバルな役作りが、ダンサーならではの表現になる気がしている。だから、物語も所謂演劇的になり過ぎずに舞踊の抽象度を保ちながら自由でクレイジーな創作につながると確信している。

過去のものを現在の手法で新解釈を加えて提示することに新たな意欲が大いに沸いている。

 

伝えていくこと。自分の思いを、人に伝える。というのはなかなか難しい。ただし、素晴らしいと感じる物事を人に伝えるのは簡単かもしれない。だから、日本の先人達の偉業の力を借りたい。それが、日本の文化を海外に向けて発信するということになると思う。

『自らを通して伝える』

ヨーロッパのダンスシーンに憧れた私だから、これからの新しい提示を、ヨーロッパに向けて恩返しをするようにプレゼンテーションしていきたいと思うのです。

現在、亡き日本の大評論家の山野博大先生に贈るDUO小作品を創作中です。モーリス・ラヴェル作曲「亡き王女のためのパヴァーヌ」を使用し老いをテーマにシンプルな構成の作品にします。この頃、人のために踊る、作ることがわかってきた気がしてます。

しっかり届けます。

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*プッシュ型支援プロジェクト#TuneUpforECoC 支援アーティスト*
https://www.eu-japanfest.org/tuneupforecoc/

(*2022年1月にご執筆いただきました)