コラム
Column旅行者の眼差し
ふらりと立ち寄った喫茶店、路上で出会った人々、ホテルの窓から見えた風景やその日の夕食。アニエスカ・ウォロツコの写真に、劇的な出来事は存在しない。焦点がぼやけたり、光が入りすぎて、何が写っているのかわかりにくいものも数多い。1枚1枚に意味を見出そうとすれば、たちまち混乱してしまうだろう。アニエスカの目的は、技術を駆使して美しい風景を再現することではなく、自分自身が「旅をする」ことだ。だから、見知らぬ土地を移動する中で出会ったものすべてが、彼女の被写体となり得る。焦点がぼやけてしまうのも、移動する電車や車の揺れによるものや、彼女の撮影とは関係なく、歩き、働く人々をそのまま写しこむからだ。撮影に適した天気になるまで、待ってなどはいられない。彼女は、次の目的地に向かわなくてはならないのだから。
アニエスカの作品は、その旅を写真で記録した “旅行記”だが、そこには旅独特の叙情性なく、ひたすら淡々と綴られているのが特徴だ。彼女は旅行者だから、その土地をすべて理解できる訳がない。もちろん、「理解する」ということ自体、一種の嘘っぽさがつきまとう。たとえ長い期間滞在したとしても、土地の常識や自らの思い入れなどに縛られて、むしろ客観性を失ってしまう可能性もある。アニエスカは、旅という非日常に身を置いて、発見することを純粋に楽しみ、あくまでも通過者としての立場を貫く。つまり、名所の風景も公園で遊ぶ子供達も、旅の途中で出会った1シーンという意味で、彼女にとっては「同じ」なのだ。私は、この旅行者の眼差しの中にこそ、ステレオタイプではない、もう1つの山形・大分の姿が浮かび上がるのではないかと思っている。
旅そのものを表現とする「Body on the Move」と名づけられたこのプロジェクトは、すでに、中国からシベリア、フィンランド、ルーマニアで行なわれている。「どうしてこんなことをしているの?」アニエスカは、時々こんな風に思うそうだ。この問いに明確な答えなどないかもしれないことも彼女は知っている。だからこそ、プロジェクトは続くのだ。彼女は、カメラと大量のフィルムを鞄に詰め込んで旅に出る。自分の背中を自分で押して、肌で感じ、眼で確かめ、作品をつくるという経験を通さなければ、何も始まらないのだ。作品を鑑賞しながら、私たちも彼女の旅を追体験するだろう。写真に写し出されているのは、その時、そこに存在した事物であると同時に、その時、そこに彼女がいたという証明でもある。何度も繰り返し見ているうちに、その場所を歩き、立ち止まり、シャッターを押す、アニエスカの姿が生き生きと甦ってくるのだ。
※ アニエスカさんの作品は下記開催の写真展≪日本に向けられたヨーロッパ人の眼5/Japan Today≫にてご覧いただけます。
山形展
11月15日~11月24日 会場:米沢市民ギャラリー
11月28日~12月7日 会場:新庄市ゆめりあ交流広場
12月13日~12月23日 会場:酒田市立美術館市民ギャラリー