特別インタビュー3:海外ツアーで生活していく――ゼロから飛び出し、世界で活躍するパフォーマンス集団へ

小川正晃|和太鼓集団「倭(やまと)」 代表
河野桃子|インタビュワー/ライター

海外を「移動する」ことと、「場所をつくる」こと

─海外ツアーをめぐりながら、明日香村、オランダ、各地の太鼓教室などの拠点を作っています。「移動すること」と「場所をつくること」は一見真逆のことのようですが、その両方を大切にしているんですね。

場所のエネルギーはものすごく大事です。自分たちの音楽は和太鼓ではあるけれど伝統ではなく、見よう見まね。そんな自分たちの根幹、活動のベースになっているのは、「日本人であること」と「場所のエネルギー」です。メンバーは明日香村で暮らしていて、この土地を吹き抜ける風の気配や、土の温度を感じて生活しています。僕たち自身にこの土地の風土が宿っている。そこで培われた感覚や共有した生活を、とても大切しています。この明日香村には、昔いろんな国から文化が集まって、そこに新たな文化が生まれ、日本全国に発信されていったという歴史がある。そんな土地の力を信用していて、むしろ自分達が作っているものは全く信用していないのかもしれません。ここで日々生活することによって、自分は日本人で、和太鼓は日本人にとって大事なもので、歴史と文化とエネルギーのある明日香に暮らしているからすごいはずだ!そんな自信が湧いてくるんですよね。

─場所の力がアートやパフォーマンスのベースになることはあるのでしょう。各地の芸術祭などは、土地の力とパフォーマンスが相乗効果をうんでいるものもあります。引っ越してきた倭さんを受け入れる明日香村の側には、なにか変化があったのでしょうか?

最初は「変わったやつらやな」と思っていたでしょうね。毎日朝6時くらいに若い人たちがジャージでランニングしたり、掃除をしたりしていたので、怪しい感じというか、不信感もあったでしょう。でもここに住んで20年が経ち、みなさんに信頼して頂けているのではないかと感じるようになりました。ツアーから帰って明日香で生活していると、玄関前に玉葱やらトウモロコシやらが置いてあることがあります。お米もたくさん頂きます。みなさん良くしてくださって、本当に恵まれた環境にいると感じます。
最近では村の人とも一緒に仕事ができるようになって、2016年に「明日香村で100年続くお祭りを作ろう」という企画が実現しました。手作りの山車を引いて、子どもたちが打ち鳴らす太鼓と一緒に村を練り歩き、倭のコンサートもやらせて頂く。その時は村の外からも人が集まって、人口5000人の村で4000人近い人が祭りに溢れます。この土地に生きている、という感覚を感じます。

メンバーは共同生活

─20歳前後の若いメンバーも多いですね。みなさん、どのようにパフォーマンスの世界に入ってくるんでしょう。

多くのメンバーは小さい時から太鼓をやってきていて「太鼓をもっと叩きたい」、ただそれだけでしょうね。東北から九州までいろんな人が集まってきています。なかにはまったく太鼓に触れたこともない人もいます。そういうメンバーは「何かやりたい!」という欲求があるんだと思います。みんな入団希望として履歴書を送って来てそれから一度会います。みんな緊張して来てくれますが、でも倭にはとくに入団テストはないのでただ話すだけです。まずは一緒にやってみるんです。むしろ太鼓に自信がある人の方が続かないことが多い。「とにかく叩きたい」という根本の気持ちが一番の原動力です。
だから、ほとんどが太鼓で生活していこうなんて思っていないんですよ。ここは考え所です。遊びでやっていては観客の心に訴えかけるパフォーマンスはできません。彼らにはまず、太鼓で食べていかなければいけないんだということから教えなければいけません。まずは倭に来るまで考えてもみなかったようなことをしてもらいます。保険に入らせて、年金を払わせて、積立をさせて、まず生活のベースを成り立たせる。それに対してお金が必要であることを知ってもらう。それから毎日太鼓の稽古をする。音響や照明や英語の勉強もします。家族以上に四六時中そばにいるのに、なぜか休みの日でも一緒にいるんですよ。そういう生活が、舞台のクオリティにも反映されていると感じます。

─メンバーはどのような所属形態なんでしょう?

メンバー一人一人は独立した演奏家です。私たちは魂源堂(こんげんどう)という制作会社を運営していて、そこがパフォーマンスカンパニー「倭」と契約してツアーを運営しています。メンバーは倭との専属契約を行い、希望者は一年ごとに更新してもらっています。

─立ち上げから25年以上が経ちましたが、倭を大きくしていこうという予定は?

積極的に規模を変えるつもりはありません。実際にメンバー数も20年近く変わっていません。僕たちはただ太鼓を打ち鳴らし、出来るだけ多くの人を元気にしたいだけ。そのためにどうやって生活していくかを突き詰めています。
ただ、今後のことを考えると、若いメンバーをどう育てていくかが課題です。倭がスタートした頃は全員が若くて、同じ想いを持って共同生活をして、みんなの夢はひとつだったけれど、今は少し年齢に幅が出てきています。倭のやってきたことはありますし、倭が培ってきた価値もあるにはあるけれど、若い人たちには若い人の価値観がある。それをどちらも尊重しながらどういう価値を共有し信頼関係を築いていくかを模索しています。これまで積み重ねてきた海外公演やツアーのノウハウはあるので、この活動を継承してくれる人を育てて繋いでいくことに力を注ぎたいと考えています。

海外ではたくさんの日本人アーティストに出会う

─今や世界54ヶ国で4000公演以上の上演をしています。予想をしていなかったとはいえ、海外公演で生活をすることに不安や迷いはなかったんですか?

不安はありましたが、私個人は若い時から放浪癖があっていつもどこかに行きたくて、いつか世界中に行きたかったんですよ。高校生の時は自転車で北海道一周、大学時代にはバイクで日本一周したり、アメリカ大陸を長距離バスで横断したりしていました。そんな個人の興味と和太鼓の魅力がうまく重なって、今の形になっています。和太鼓と共に世界へ行くということがとにかく楽しい。
それでも自分一人なら長続きしていなかったと思います。活動を続けてこられた理由、より良い演奏を求めてパフォーマンスを磨いてきた大きな理由は、メンバーたちの人生がかかっていたからです。兎に角、みんなが食べていけるようにしないといけないという使命感があったので、ここまで走ってこられました。

©Masa Ogawa

─日本人が海外で活動することについては、アーティストの希望になりえると思いますか?

やりたいことがあって、大金が目的ではないなら、海外に出ることには大きな可能性があると思います。世界には若手アーティストに門戸を開いた芸術祭もたくさんあるので、小さな劇団でもダンスカンパニーでも「やりたい」という気持ちがあるなら思いきって参加してみるのもいいと思います。もちろんお金はいくらかかかるしノウハウもいるけど、その気になったら自分たちのパフォーマンスを発表出来る場所はたくさんあります。僕たちの一歩は、そこから始まりましたから。

─しかし日本の、とくに若いアーティストには海外が身近ではない人も多いのでしょう。なぜだと思いますか?

具体的に感じたことがあるのは、日本ではそれなりに夢や希望が叶い、生活が出来てしまうからではないかということです。特に「世界」を目指す必要がないのかもしれません。実は一時期、太鼓以外のパフォーマーを募って新しいパフォーマンスを制作し、海外ツアーに行ったことがあるのです。ツアーはうまくいったのですが、演者とうまくいきませんでした。私としては、倭を通して知った「世界への窓口」が役に立てばというつもりだったのですが、その「世界」という目標を共有出来なかったと思っています。その時参加してくれたパフォーマーの多くは、すでに日本で映画のエキストラやイベント出演をしてギャラをもらっている人達でした。実際はアルバイトをしながら表現活動をされていたのではないかと思いますが、日本での役者やダンサーやパフォーマーとしての成功は「日本で有名になること」なのではないかと感じました。それを夢や目標にし、映画の端役や演劇の大きなプロダクションのエキストラをやって、なんとかチャンスを掴んで頭角表して、出来れば大手の事務所と契約する、というような感じです。そういった方向へのモチベーションを持っている印象でした。自分たちの表現で世界中にいる観客に向けて表現する、「挑戦する」「開拓する」ということは選択肢にないのです。
「成功」が簡単ではないその構造が主流になるのは、日本で作品を作ることがお金と深く関連しているからだと思います。本来はやりたいからやる、やりたいことがある、それだけなのに、やれる様にする為にはお金にならねばならない。自分自身にそういう価値を生み出そうとすると、ある決まったシステムに乗らなければいけなくて、自分たちがやりたいことをやっているだけではダメだと思い込む。うまく出来ない人はこぼれていってしまって、そのシステムの中ではそれ以上の可能性を見つけ出せないのではないでしょうか。そんな人たちに、世界に目を向けるきっかけがあればと思います。やりたいことがあるのならば、海外に行くのは本当は大きな選択のひとつです。世界にはたくさんの観客がいます。今も、自分の作品を作ろうとしている人たちは日本の価値観にとらわれず、そういったメジャーを目指さず、自分のやりたいことを続けています。もちろんもし有名になって自分に価値ができたら、大きな公演を打つことができたり、更に新たな可能性に出会えることもある。実際海外では、無名で日本を出て実績を積み、日本に帰らないアーティストにたくさん会いますよ。彼らは世界を見ています。

本インタビューは第27回EU・ジャパンフェスト公式報告書掲載の、2019年に実施されたものです。