第28回事務局報告

古木 修治|EU・ジャパンフェスト日本委員会 事務局長

初めに

2020年を振り返る時、新型コロナウイルス感染症のことを避けては通れない。このコロナ禍に対し、日本、ヨーロッパをはじめ、世界中の人々がどのように向き合い行動を起こしたかという記録は、後世の人々にとって示唆に富んだものとなるだろう。私は欧州文化首都と私たちの活動について、しっかりと記録し、長く人々の記憶にとどめたいと考えた。

世界各国では、長期間のロックダウンが始まり、今なお続いている。

2021年3月14日現在、世界全体で感染者数は 1億1,900万人、死亡者は 264万人を数える。感染者数は世界人口の1.54%、死亡者数は 0.034%である。しかし、過去を振り返ると世界はもっと過酷な時代があった。 14世紀のヨーロッパでは、ペストの大流行で当時の人口の 3分の 1が死亡した。直近の 100年前には、スペイン風邪(A型インフルエンザ)が世界的に流行し、感染者は当時の人口の約3割強の 5億人、死亡者は推定に幅があるが2千万人から 1億人とされ、甚大な被害を伴った。

この 100年で医学の発達や公衆衛生の改善によって、今回のパンデミックを取り巻く環境は、過去とは比較にならないほど抑えられたともいえる。にもかかわらず、恐怖心が広がり世界全体がパニックに陥った。連日の悲観的な情報の洪水は、精神的な打撃となって人々にさらなる苦悩を与えた。日本では、直接的な因果関係は明らかになっていないが、自殺者数が前年を越えた。パンデミックは確実に多くの人々の精神を蝕んだのだ。

 

災いは忘れたころにやってくる

歴史を遡ると、人類は人災、天災、戦災、そしてウイルスとの闘いを繰り返している。しかし、毎回終わらない闘いはなかった。多大な犠牲を払いながら、その都度、人類は絶望から這い上がってきたのだ。

先の大戦から 76年が経過し、東西冷戦は終結した。戦争の世紀と呼ばれた 20世紀に勃発した 2つの世界大戦は、いずれもヨーロッパに端を発し、戦禍は世界に及んだ。しかし、いまやヨーロッパ大陸には、 EUという広大な平和ゾーンが広がっている。いまなお、世界の各地では紛争が絶えないものの、人類史上、かつてない平和と繁栄が続いている。富の偏在という新たな問題は浮上しつつあるもののグローバル経済の拡大により、世界の貧困問題は徐々にではあるが改善されつつあることも事実だ。

しかし、過去の世界全体を恐怖に陥れるほどの事態の記憶や実感は、時間の経過とともに、私たちの内面で風化していた。平和と安定に近づいた今の時代の私たちに慢心があったのではないか。これが今回、パンデミックと共に巻き起こったパニックの要因にあると考える。

 

コロナ禍の中で、世界はどう動いた?

19世紀の英国首相パーマストンは「英国には永遠の友もいなければ、永遠の敵もいない。あるのは永遠の国益だ」との言葉を残した。しかし、現代社会において、政治、経済、環境、公衆衛生など、あらゆる分野で世界全体が相互依存を強めているし、強めなければ世界は存続することすら難しい。

世界中がコロナ感染対策に奔走するなか、自国の繁栄には他国の繁栄が不可欠との考えも芽生えはじめている。グローバル社会全体の利益を考えることが回り回って自国のためになる。未曽有の危機を前に、自国ファーストの主張は勢いを失った。利他主義は合理的な利己主義ともいえるが、それが確実に前進したことは不幸中の幸いであった。

パンデミックの歴史から学ぶことは多い。とりわけ、ヨーロッパは陸続きのため一気に感染が広がり、多くの犠牲を払った歴史の積み重ねがある。 14世紀ペストが蔓延した当時、医学が発達していない中、感染の拡大を防ぐありとあらゆる努力が重ねられた一方、多くの人々が感染の恐怖から精神的に打撃を受けたことも大きな社会的な問題であった。それだけに、宗教だけでなく、芸術が人々の心を支えてゆくことに果たした役割は計り知れなく大きかった。

 

パンデミックの中の芸術や文化の活動

世界がパンデミックに突入した 1年前、多くの国は厳しい行動制限を実施した。外出を禁止され、人々は自宅にこもり外部との接触もままならない状態となった。感染そのものより、恐怖や孤独が精神を蝕み始めていることに危機感は募った。この状況に日本政府は芸術や文化は大切としながらも、不要不急と位置付けた。その結果、多くのフリーランスのアーティストたちは、中止に追い込まれた活動の公的な補償も少なく、活動の継続は危機に瀕した。

一方、ヨーロッパ各国の反応は日本とはかなり異なり、芸術活動の維持と発展に力強いメッセージを出した。数々のパンデミックを乗り越えてきた歴史の上に立った事態解決のための成熟した対応を示した。ドイツの文化大臣は、「創造的な芸術活動は、人間にとって不可欠であるばかりでなく、生命維持装置である。」と宣言。さらに、メルケル首相は「文化的環境を維持することが、政府の優先順位の一番上にある。」と語った。

呼応するかのように、各国政府は速やかに具体的な方策を講じた。とりわけ、フリーランスのアーティストに対する補償は 2020年3月には実行に移された。その対象は、自国のアーティストに限定せず、現地に滞在許可を有し活動しているすべてのアーティストとした。多くの日本人アーティストもその恩恵をあずかったことは言うまでもない。

また、欧州委員会はオンラインでの活動維持を呼び掛けただけでなく、その内容の高度化を推進した。 2022年の欧州文化首都の 1つリトアニアのカウナスでは、ロックダウン下の芸術活動の在り方やどうやって人々のために貢献できるかを話し合うオンラインシンポジウムを開催。その中で「簡易的なオンライン活動は芸術の質を落とす。」との警告が出されたことはとても印象的だった。

多くの舞台芸術が高度な技術と機材によって記録され世界中に発信された。

小劇場での舞台作品をテレビクルーが新たな手法で収録するということに挑戦した事例もあった。2億人の視聴者を誇るネットフリックスなどに劣らないまでに配信内容とその質は高められていった。

美術の分野では、旧態然とした美術館の体制に再考を求める声は以前よりあった。コロナ禍は、美術館の在り方や教育への貢献を進化させる絶好の機会になったことに間違いない。行動制限下の美術館は、長い間、閉館を余儀なくされたが、その事態を活用して、それまでに出来なかった展示や所蔵作品の見直し、館内の改装工事も進んだ。また、作品の高度なデジタル化が加速度的に進んだ。デジタルコンテンツの外部、とりわけ教育の現場への発信によって、美術館と人々との距離感は縮まった。中には世界初となる 10億画素の超高解像度で作品を撮影した VR展示も公開された。美術館は、来館者だけでなく、美術教育の現場でもコンテンツが生かされる新たな使命が始まったのだ。

 

コロナ禍での 2回の欧州訪問

(詳しい紀行文は、 コラムページ「コロナ禍の欧州へ 事務局古木の訪問記」及び「古木欧州再訪記 2020年11月」を参照してほしい。)

各欧州文化首都と私たちとの間には、互いの訪問を繰り返し、長い間に蓄積された絆が存在していた。パンデミックの中にあっても、各都市とのやり取りをあらゆる手段を講じ継続した。しかし、直接現地に足を踏み入れることで得られる情報は無限である。事態が長期化するにつれ、 ZOOMなどのミーティングでは何かが足りなく、 Face to Faceでの話し合いが不可欠と感じるようになった。今後の取り組みの展開を心待ちにしている多くのアーティストや青少年たちのためにも、欧州訪問を決心した。

理想とあきらめはコインの裏表。困難に陥った時、理想ばかりを追い求めても、やってくるのは絶望のみだ。何が可能で、何が不可能かを見極め、可能なことから連帯し実行してゆくしかない。現実主義者しか事態を打開できないのだ。

1回目の訪問は 2020年7月。ヨーロッパでの感染がやや下火になり、その機会に乗じて現地へ向かうことにした。

とは言っても、多くのヨーロッパの国々は入国制限があり、訪問可能だったのは、今年と来年の欧州文化首都開催地のクロアチアとセルビアの 2か国のみであった。現地での実体験は驚きと感動の連続だった。ヨーロッパでの感染は、日本とは比較にならないほどに深刻であったが、それに反比例するように、現地で会った人たちの表情は明るかった。どの人も笑顔で溢れていた。誰一人コロナを話題にする人はいなかった。「今は悲しんでいる時ではないでしょう。恐怖を克服することのために何ができるか。こんな状況でも日常をより深く美しくすることはできるはず。」という考えが、欧州文化首都の関係者の多くに共通していた。彼らの内面には、感染と闘った長い歴史の蓄積があった。多様な民族や文明が行き交ってきたヨーロッパの人々のなかに寛容と耐性がしっかりと根付いていることが通奏低音となって伝わってきた。

もう 1つ、ヨーロッパが成熟した社会であることを実感した出来事があった。

2回目のヨーロッパ訪問は 11月末。各国が2回目のロックダウンに入った中、来年の欧州文化首都のルーマニアとセルビアは入国可能であった。最初に訪問するルーマニアのティミショアラから、陸路で国境を通過しセルビアのノヴィ・サドに向かうことになっていた。しかし、感染拡大のあおりをうけ、両国民の往来は制限され、国境が事実上閉鎖されていた。 11月26日霧が立ち込める中、欧州文化首都ティミショアラのスタッフが車で国境まで送ってくれた。下車した私は 2つのスーツケースを転がし、 200メートルほど歩き、セルビアの入国ゲートに到達。入国管理事務所で係官にパスポート、欧州文化首都からの招聘状、そして前日ティミショアラで発行されたPCR陰性証明を提示した。窓口には固い表情の女性係官が座っていて、背後に屈強な体格の男性2人が控えていた。パスポートを見るなり、彼らの表情が一変し笑顔となった。「あなたは、今日初めての入国者です。ようこそセルビアへ。」と、その言葉に心からの歓迎の気持ちが込められていた。思わぬ反応に私の心も一気に明るくなった。改めて、ヨーロッパの人々の成熟した寛容な一面を実感した。

 

芸術の継承

芸術は人間によって創造され、人間によって絶え間なく受け継がれてきた。

芸術は物質ではない。芸術は脈々と生きているのだとコロナ禍で痛感した。ただ人間が空白の期間を作ることなく、引き継いでいかなくては、どんなに素晴らしい芸術であっても、死に絶える。

ギリシャはヨーロッパ文明の源流と言われるが、 5世紀に西ローマ帝国が滅亡してから数世紀の間、ギリシャが残した芸術や文化の遺産は、西ヨーロッパでは忘れ去られた。この時期を暗黒時代と表現する研究者もいる。その間、イスラム圏ではヨーロッパよりも高度な文化が繁栄した。イスラム哲学をアラビア語で「ファルサファ」というが、それはギリシャ語の「フィロソフィア」が語源だ。古代ギリシャ哲学はイスラム圏で継承され、さらにアラビア語へと翻訳されイスラム世界に広まった。多くの古代ギリシャの文献が西ヨーロッパへと伝わるのは、西ローマ帝国滅亡から数世紀を経てイスラムを経由してのことだった。ギリシャ語からアラビア語、そしてラテン語へと翻訳されるという道筋をたどったのだ。芸術や文化は、長い時間をかけて人から人へと受け継がれてきた。それは世界共有の財産だ。

古代ギリシャの哲学者ソクラテスは、次の言葉を残している。

「我はアテネ人にあらず、ギリシャ人にあらずして、世界市民である。」

 

未来は子供たちのなかにある

誰もが子供の頃、野山を駆けまわったり、友達と楽しく遊んだ経験があるはずだ。しかし、 1年以上続くコロナ禍の行動制限の中で子供たちが受ける精神的抑圧と打撃は大人以上だ。今、私たちはより真剣にこの事態に向き合うことが求められている。

これまでに、私たちは毎年の欧州文化首都と協力し「国際青少年音楽祭」を開催してきた。 2020年は、欧州文化首都2都市に日本から合唱団と吹奏楽団が招かれていた。コロナ禍で開催は叶わなかったが、双方の関係者の熱い思いが後押しとなり、渡航が可能になるまで延期し、中止することなく必ず実現すると子供たちに約束した。それを知った子供たちの練習には、さらに熱気が加わった。

私たちが受動的になれば「希望」の実現は常に先送りされ、いつしか「希望」と「諦め」はコインの裏表となってしまう。子供たちが抱く夢や憧れは、具体的な目標へとなりうる。その目標を達成させるためには、私たち大人が推し進める力が不可欠であり、その責任は大きい。未来は子供たちの中にあるのだ。

 

終わりに

この公式報告書は、困難を伴いながらも、逆境を跳ねのけるように継続してきた活動の記録である。この 1年にわたる厳しい行動制限下の現場で取り組まれた革新的な芸術文化の展開は、今後さらに成長を続けるだろう。そして、近い将来、私たちは舞台や音楽、美術作品など、生で触れる喜びを実感すると確信している。

28年前、政府の支援なしに始まったこの活動がコロナ禍でも維持することができたのは、厳しい経済状況下でコスト削減の対象とせず、寛大な支援を続けていただいた日本の企業の皆様の存在が大きい。彼らの未来に賭ける強い思いに心より感謝申し上げたい。

すべてが収束した時、活力溢れる子供たちや私たち大人がいれば、未来は人間らしい社会となるに違いない。