(新たな)リズムを生み出すリズム ①

西村雄貴|アーティスト
©fotobank Sopot/UMS

 ソポトの人々およびその地元の声との関わり合いが、本プロジェクトの中心に据えられています。それらを称え、私は同じく社会政治的実践に注力するアーティストWael el Allouche氏とJulia Sokolnicka氏と協働する運びとなりました。私達は、政治科学・文化研究博士のBogna Hall氏とダンサーでパフォーマーのAnna Steller氏を迎え、現地の芸術文化スペースGoyki 3にて、公開パネルディスカッションを開きました。私達はアイディアを交換し、私達が歴史や場所に引きつけられる状況的魅力を共有しました。またJuliaさんとWaelさんは、展覧会の開催も行っています。

 最終的に私達は、今後実施するコミュニティワークショップに向けた発想を概念化すべく、ソポト歴史博物館の公文書館を含めた、郷土の記憶において心に訴える場所の数々を訪問しました。 

 私達は、幾層にも折り重なる植民地支配に晒されたかつての漁港の町、ソポトの歴史をともに探究しました。自己決定権を含む権威に対する権利は、幾多の国家への移り変わりの中で繰り返し取り戻されたり、失われたりしました。現在海辺の観光地として認識されているソポトの、街としての性質やアイデンティティはこのような経緯に基づいているといえるでしょう。建築、地理的現象、都市およびその態勢を取り巻く現象学のすべてが、こうした流転の経緯を物語っているのです。私達が出会った元漁師や地元住民によって語られた物語もそれに然りでした。そこには都市が擁したアニミズム的な多元性の観念が感じられ、それはポーランドから推測されるカトリック信仰で名高い一般的印象に反し、むしろ古代ケルトの自然信仰や多神教信仰に似た、ポーランドでいにしえの時代に見受けられたであろう感覚といえます。こうして私は、それらの隠れた歴史の在り処について考え始めました。それは記述として残されていないため、論理的に言い表すことはできませんが、その存在は手に取るように明らかで、しかもつきまとって離れないのです。

©Julia Sokolnicka

 パネルディスカッションのなかで極めて重要な中心的議題となったのが、我々が現在置かれている後期資本主義とその破壊的な影響、すなわちそれが引き起こす個人的そして集団的な麻痺状態についてでした。近代ポーランド社会における数々の主な革命の勃発地の近隣に立地するソポトの場合、この麻痺状態は、憑在論的な憂鬱に付随するものです。そうした革命として、産業革命、50年代に起きたジャズ革命、ポーランドにおける共産主義支配の終焉の契機となった80年代の労働組合運動「連帯」が挙げられます。私達は、ホリデーリゾート地として名を馳せるソポトで、今後さらなる非暴力革命的な変革が起こり得るのかについて疑問を投げかけました。そしてこれ以上の敵意や対立を招くことなく、どのようにして失われた未来を取り戻せるのか。歴史からの休暇から復帰する術とは何か。

©fotobank Sopot/UMS

 私達は、文化革命の概念だけに留まらず、教育的観点からの文化的発展についても論じました。

 この先、私はソポトを再び訪れ、ソポト市民を巻き込んだ、パフォーマンスを集大成とする一連の一般向けワークショップを実施したいと思っています。私が構想しているのが、ソポトの地域アイデンティティに深く刻まれた、いにしえの、文字として残ることのなかった記憶を呼び起こす儀式的パフォーマンスのような、海に浮かぶボートに乗った合唱団を作ることです。

 歌唱を、ジャズ革命からの名残である知識を体現する技術としてだけに留まらず、かつてソポトを世に知らしめた漁夫達が行っていたジェスチャーと彼らの労働歌として表す意向です。集団的歌唱の伝統とそれに込められた抵抗のための主張を活かしながら、歌唱を、幾世紀に及ぶリズムを断ち切り、他のリズムに効力をもたせるための社会運動を生み出すひとつのジェスチャーとして解釈しているのです。そこで私達は、近郊の姉妹都市グダニスクの造船所で起こった重大なストライキから生まれた、80年代の労働組合運動「連帯」に言及することを考えています。

 リズムについてさらに述べると、私達はこだまや深海の騒音の現象、そして自然界におけるそれらの実体化について考えています。ソポトは特徴的な山脈地形に周囲を覆われており、これにより年間を通じて海風現象が起こります。またソポトの湾岸の独特な形状により、打ち寄せる波がひとりでに作り出されます。 

 さらに広い意味で、私達は、深い時空間を進むソポトの流れ、そしてどのようにして集団的発言の現象が、革命的でありながら、どこにでもある門戸あるいはテクノロジーとして機能し得るかという発想に引きつけられました。そしてこのパフォーマンスを通じて、ソポトを舞台に、このような相矛盾しつきまとうリズムやアイデンティティの再構築を目指し、こうしたエネルギーの幾らかを活用したいと私達は考えたのです。 

 また私は、プロジェクトを掘り下げていきながら、本プロジェクトとそれに関わる人々のポイエーシス(創造)とプラクシス(実践)を引き出すために、小説を書くことを考えています。最初のスケッチが、既に以下のように出来ています。 

 

今朝、ここに到着してから最初の朝、私はよく眠れず、普段よりも早く目が覚めた。まったく初めての街で、そのリズムは既にここにあった。それは私が電車からこの街へと降り立ったときから、ずっとここにあるのだ。コーヒーを飲み終え、こんなにも早くに目覚めたのが思い出せないほど久しぶりだったからか、手持ち無沙汰さを感じる自分に気づく。そして私は、宿泊している部屋からそれほど遠くない海辺へと歩いていく。 

 

見渡して間もなく、水上に浮かぶ白鳥の姿を見つける。海で見かけるのは実に不思議な光景だ。白鳥は私の注意を完全に奪い去り、私は無意識のまま白鳥達に向かって歩み始める。白鳥は、私が徐々に近づいているにもかかわらず、身動きすらしない。ただそこに座りじっとしているのが、とても心地良いようだ。 

 

そしてふと、自分の足が、ここに到着してからずっと耳にしているそのリズムの鼓動とシンクロしているように感じる。

ひょっとしてそうなのかもしれないという妄想に駆られ、私はペースを速める。

さらに足を速めていきながら、そうしているうちに、そのリズムがひたすら追い上げ、私の後について来ていることに気づく。

 

左足そして右足、右腕そして左腕と動く自分の歩き方を自覚する頃には、私は実感する。自分がこのリズムとまったく同じペースで歩いているということに。

 

私は完全に追いつかれたのだ。

 

こうして今、私は一羽の白鳥を目の前に、水辺に佇んでいる。

そのリズムの響きはそれほど大きくないものの、依然としてそこに漂っている。私は白鳥を見詰め、そして白鳥が私を見詰めている。私は後戻りもできず、それならばいっそのこと訊いてみることにする。

 

このリズムを奏でているのはおまえ達なのか?

もちろん白鳥達は何も言わない。それでも私には、白鳥が私に微笑みかけているように思えた。

このリズムは私が奏でているのか?それとも、おまえ達がこのリズムを奏でているのか?それとも、このリズムを奏でているのは私達なのか?

あるいは、

リズムよ、おまえがこのリズムを奏でているのか?

©Fotobank Sopot/UMS