Festival Dnevi poezije in vina(詩とワインの日々)に参加して

橘 上|詩人

僕は普遍性を求めて詩を書いている。こう書くと何のことを言っているのだ、と思われるかもしれないが、 平たく言うと自分の詩が100年後にも1000年後にも読まれたい、読みうるものでありたいと思っている。
とんでもない欲望の大きさだ。しかし、一読者として100年以上前の詩を読んで衝撃を受け、詩を書こうと思ったのだから、 今度は自分が人に詩を書くきっかけを与えるような、読んでいたものに負けないようなものを作りたいと思うのはごくごく自然のことだろう。  もっといえば「今、この日本」でかかれている作品が、「今、この日本」の枠を超え、時を超え、場所を超え、様々な広がりを見せてほしいという思いがある。

では現状はどうか?

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僕は二冊の詩集を出していて、読者から感想をいただくこともしばしばあるが、だからと言って100年後どうなるかなどわかるわけもない。 さらに「日本」という場所を超えることに関して言うと、日本語で日本の出版社から詩集を出しているのだから、そこからどんな風にひろがるかなんて想像もつくはずもなかった。

そんな矢先にスロヴェニアの「Festival Dnevi poezije in vina(詩とワインの日々)」というフェスティバルで詩のリーディングをしないかというお話を頂いた。 初めての海外で、同行者はなし、英語もあまり話せない、通訳も基本的にはいないということで不安もあったが、お引受けすることにした。不安よりも、自分のことも、 日本語のこともわからない、まっさらな人々の前で読んでみたい、自分の詩を読んでもらいたいという欲望の方が強かったのだろう。

 

フェスティバルでは、自分の詩をスロヴェニア語に翻訳して一つの冊子にまとめていただき、スロヴェニア国内をめぐり3度リーディングをした。
最初の2回のリーディングは、まず日本語で僕がリーディングをし、そのあとでフェスティバルスタッフがスロヴェニア語でリーディングをするというスタイルをとった。 自分が日本語でリーディングした時に、日本語がわからないお客さんも、音楽とともに流れる自分の日本語のリズムにノッて反応してくれた。 特に2回目は機材トラブルで音楽がまともにながれなかったので、2回目のお客さんは僕の言葉のリズムのみで反応してくれたと言える。僕のリーディングの後のスロヴェニア語のリーディング。 自分の詩が聞いたことのない音に変る。でも紛れも無く自分の詩なのだ。自分の詩に隠された響きに気付かされる。お客さんはさっきまでのリズムに反応していた聞き方とは打って変わって、 今度は静かに聞き入り言葉の意味に思いを巡らせていた。僕はスロヴェニア語がわからない。お客さんは日本語がわからない。お互いの「分かる」と「分からない」が僕の詩を媒介にして響きあう。 意味やリズムといった火花を散らしながら。「分からない」からこそ「分かる」ことがきっとある。

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最後のリーディングはメインステージで行われ、僕の朗読に合わせてスクリーンから翻訳が流れる。お客さんは、僕のリーディングの声を聞きリズムにノり、スクリーンの文字から意味を読む。 声と文字、意味とリズムに分けられた僕の詩が再び同じ時間の中で交錯する。聞きなれない朗読のスタイルに、会場からはどよめきが、それがやがて拍手へと変わった。
ここのお客さんは僕のことを何もしらない。何も知らないからこそ、ダイレクトに僕の言葉に反応してくれる。こんなにストレートな反応があってワクワクするのは詩を書き始めた時以来だったかもしれない。 これから先どうなるかわからないという不安と興奮を僕とスロヴェニアのお客さんが共有している。暖かく、同時に次に何が起きるのかというスリルと緊張感に満ちた空間。 これだ。このスリルなんだ。僕の求めていたものは。

バックステージでは、ほとんど英語の分からなかった僕だが、知っている英単語とボディーランゲージを駆使して何人かの友だちができた。 基本的に人見知りなので、言葉がわかる状況だったらあそこまで仲良く出来ただろうか? ボディーランゲージという言語が僕の隠された積極性を引き出してくれたのかもしれない。
日本で日本語を話し日本語の詩を書いていただけの僕だったが、このフェスティバルに参加したことで、自分の日本語詩がスロヴェニア語の文字となり、 スロヴェニア語の響きとなり、音になり、意味になり、と言葉が変容していくさまを、そして言葉のカタチが変わっても詩の核の部分はしっかりと伝わるんだということを目の当たりにした。 また、ボディーランゲージで交流することで、言葉のカタチをしていない言葉があるということを身をもって教えられた。同時に当たり前のように日本語で話せることのかけがえなさに気付かされた。 言葉には、その言語ごとに響きがあるということ。そして詩の核のようなものは、響きや形が変わっても、しっかりと届ければきっと伝わるということ。 だからこそ、その言語特有の響きは尊いのだ。

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普遍的な言葉を追い求めている僕にとって、このフェスティバルは言葉の根本を今一度見つめ直す機会を与えてくれた。これから僕は新しい詩を、新しいやり方で書き続けるだろう。 しかし、どこかで迷いが生じた時に、詩を書き始めた時の衝動と今回のフェスティバルで受けた興奮を思い出し、再び新作に向かうだろう。
今後は、新作を書きつつも国の内外を問わず、新しい人と一人でも多く出会えるような活動をしていきたい。

◎第21回EU・ジャパンフェスト:「国際詩歌祭「詩とワインの日々2013」」プログラムページは コチラ

写真:スロヴェニア・プトゥイで開催された「詩とワインの日々2013」より