コラム
Column[#KeepgoingTOGETHER] Vol. 49 ① / 電気神楽 (ELEKTRO KAGURA) at Autoconcerto
オンライン配信を実施しての所感
実際の様子から、まず会場の第一印象より。
工場の私有地であるため、開放的でもありなによりも自分たちの利用しているアトリエと環境がよく似ていたため、親近感と共に様々なアイデアが湧いた。しかし同時に、劇場という密閉空間とは異なること、またコロナ規制下により、車内での視聴ということが売りであったが、見込みほど来客が少なく(おそらく30名未満)、その殆どが車外で見ていた様子から、即座に演出を変更した。
オリジナルは、音楽と映像がメインであり、自分はたまにライブカメラから近距離で踊っている様子がステージ背景の大きな壁に映ると見越していたのだ。なおかつ、地面には緩やかな傾斜がありその土地の利と、学術的なライン川一帯の雰囲気から解放されるような演出として、着物姿、車を大いに利用して高低差を活用することに決めた。
一方生谷はライブカメラの設定に時間を想定していた以上に要し、自分の準備がままならず、AXLOTLは、PCが本番直前にクラッシュするなど、テクニックの面でのやむをえないトラブルは続出する。
今後の対策として、
-テクニック的な問題は普段から予期して、練習を積むこと。音楽と映像を完璧に合わせるだけでも、相当な修練を要する。そしてそれだけでも十分に見ごたえがある。作品はもう4年ほど前から繰り発表してきたもので、大胆に構造を改革し、ダンスなし、またはダンスのみ(これは個人でツアー経験あり)、異なる条件下で同じ作品を上演をつづけること。一番肝心なところを押さえたうえで、柔軟性と作品の鮮度を保つこと。
-時間にゆとりをもって、会場入りすること。本番の3時間前には到着したものの特に新しい主催者とリハーサルなしの場合においても、対面してのやりとり、テクニカルリハーサルは必須であり、時間を要する。
-常日頃から、本番を意識した稽古、自己学習、イメージトレーニングの必要性。私は神楽を意識して、1人でオンライン指導(デモンストレーション)したりすることで、緊張感を保ったまま、勘を鈍らせないように意識的に日常に非日常的なものを持ち込むことを継続してきた。神楽とはなんぞやということとも正対して、インドネシアの伝統芸能、地域の芸能活動にも触れてきた。地産地消の無形文化と生活、そして古代神話。舞踊は論を体で表す長所がある。
(Ichi Go)
©Jassin Eghbal
通常の配信やアーカイブ作成と変えた点、工夫した点
普段自分が行っていたライブ配信はごくシンプルに、1対1のセッション形式で他のダンサーの指導や、音楽家、あるいは生谷のペインティングとのコラボレーションであった。今回のようにパフォーマンスをライブで中継したのは、2年ほどの“ikutaniX”の企画に遡る。生谷のベルリンでの個展の最終日で、壁画に絵の具や生卵、薄力粉などを投げて色を掛けるいわゆるライブアクションをライブ中継して以来であった。その時は密室であり、観客は汚れても構わない服装か雨具で防護、カメラもそれなりの防水対策を施した。
ライブは今日ほど盛んにおこなわれることはかつてなかったであろうが、ベルリンの劇場で一時代を築いたフランク・カストロフ監督は、積極的にライブカメラを利用し、劇中で映像を見せる演出をよく用いている。
私はというと、今年3月からインドネシアの出張先で外出規制になり、もともと興味のあったライブ中継を個人的に展開してそのノウハウを身体と指先で覚えたのだった。そしてかねてから、どんな新技術も最初はためらわれるが、すぐに一般化、凡庸化、平たく言えば退屈なものになりえることは心得ていたので、とにかくさっさとはじめ、やりながら覚え、他の多数が始めたらやめよう、と思っていたところ、ちょうど仕事も入り、またこのような助成金の機会に恵まれ、個人で始めた活動が集団になり、より複雑なパフォーマンスに自然な流れで移行、発展していった。
しかし、何においても、アーティスト、そして自営業である以上、どんな状況下でも言い訳せず、誰かのせいにせず、自分の持てる力を発揮して、新しい価値、仕事を創出しなければならない。これは義務でもあり、使命である。それは“働く”という事である。つまり、他人の真似は利を得、開発する点ではよろしいが、それ以下に成り下がるのでは敢えてやる意味があろうか?という問いを常に意識して取り組むことにも繋がっていく。今回は特別に映像作家(特にドキュメンタリー)、国際的経験も豊富なカメラマンとして一番信頼のおける、Jide Tom Akinlemiru氏に撮影をお願いした。彼は、なんといっても抜群にセンスとバランス感覚がよい。そして向上心と好奇心が強く、友好的である。彼の寛容でオープンマインドな視野からとらえられた視点は、これぞ、観客に近づいて見てもらいたいという視点である。また、撮影者によって、カメラの前の演者の気持ちは多分に刺激され変容する。彼の場合は演者を邪魔せずに、それどころか演者の見せたいところを逃さないような憎い撮影であったと言わせてもらいたい。この信頼感は接近型のライブ撮影において絶対的に欠かせない。でなければカメラは固定するか、自前で制御するかということになる。さらに言うと、彼には“Requiem sachiko” 企画でも撮影をしてもらったが、その2回の経験から、観客に撮影してもらうという逆の発想も思いつくに至ったのだった。職業柄、そういった創意工夫は尽きないのである。
また、日ごろのアーカイブ作成では、あくまで記録映像であり、生のライブの臨場感よりも良質な画質と音質にこだわり、なるべくかっこつけることを意識しがちだが、今回のデュッセルドルフの美大卒業生や地域のアーティストのコミュニティでは、体裁はさることながら、やりたいことをいかに自由にやるか、という呼びかけ(伝えたいこと)がそのまま伝わり、私たちベルリンからのメンバーは言いようのない懐かしさと心地よさと感銘を受けたのである。
アーカイブはアーカイブとして、熱の熱いうちに、記憶の新しいうちに編集して残すことも肝要であるが、アートには正解と完成がない、人生にないのと同じように。しかし、どこかで落とし前を付けなければならないという意味で、自分たちが客として御呼ばれされている場合には、主催者と観客の反応を基準にしている。一定の評価は得られ、彼らとも共同で主催、あるいはこちらに招いての自主企画を運営したいと思っている。
(Ichi Go)
©Jassin Eghbal
オンライン配信への提言や意見
この世界情勢の中で、今まで以上にネットワークへの比重が加速度的に進んだと考えます。芸術家も社会に生きる一員で、この情勢に反応し芸術家として何ができるか?御委員会の問いに私たちも賛同し、未熟な身ながらも自分たちの最大限を尽くし、答えとさせていただきました。このような機会を与えてくださり、心より感謝しております。
海外在住の利点を生かし、これからも海外で活躍する方々と積極的に共同し制作をしていく所存でございます。どれだけ、ネットワークが進んでも、やはり住む場所や、地域はとても大事な生活、仕事の基盤ですので、そこは常に重要視しながらも、技術の発展を肯定的に捉え、ネットワークを駆使し世界中の人々と積極的に関わっていきます。困難な状況だからこそ、芸術家として前向きに答えを見つけ、提案していく姿勢を忘れずに、芸術家の社会的役割の進展に尽力していきたいと考えています。
日本においては、小中規模の芸術活動に対する公の支援は、欧州に比べ少ないと承知致しておりますが、この規模で活動する芸術家の中から、未来に大変社会的影響力の強い芸術家が生まれる可能性も多いにあると思います。日本にはとても才能のある芸術家の卵が多く、御機関のような志の高い組織の存在は、日本の芸術界の発展に欠かせない存在であると、前回のベルリンでのPechaKuchaプレゼンテーションの際に感じました。是非、今後ともこのような機会を提供して頂くことを切に願っています。今回、私たちへの援助を決めて頂いた過程の迅速で柔軟な対応は、欧州の機関では難しいと考えます。この点に関しても是非、継続していただきたいと願います。本当にありがとうございました。
(生谷)
<プログラム>
電気神楽 (ELEKTRO KAGURA) at Autoconcerto
- 実施日:2020年5月30日
- 内容:
ベルリン在住のアーティストグループ電気神楽(Ichi Go、 生谷幸大、AXL OTL。撮影Jide Tom Akinleminu)がデュッセルドルフ在住のアーティストTaka Kagitomi氏の企画 Autoconcerto(観客が自動車で見るコンサート)に参加。古事記の物語を元に2017年に制作した『ikutaniSAN』を公演した。 - 告知方法、使用した広報ツール:Facebook, Email, HP
- 使用した配信ツール:Facebook(YouTubeにて現在も視聴可能)
- 視聴者の反応を得るために工夫した点:
ハッシュタグの使用:#ArtAction #LiveSession #LiveStreaming #Berlin #LivePainting #ContemporayDance #コロナに負けるな #コンテンポラリーダンス #ライブペインティング - 視聴回数:75回(6月11日現在)