コラム
Column私たちのArts of Survival
欧州文化首都タルトゥ2024の主題として「Arts of Survival」が掲げられました。2024年から遡ること約2年、同タルトゥにて行われたパフォーミングアーツフェスティバルでの偶然の出会いを機に、2人の日本出身アーティスト、菅原圭輔と横尾紫苑の長期的コラボレーションが始動しました。両者ともに制作者そして同時にパフォーマーとして従事してきました。
このプロジェクトでは、舞台芸術と記号論の2つの領域をクロスオーバーさせ、パフォーマンスとインスタレーションが融合する表現を試みました。その際に重要視したのが作品の根底となる概念です。
私は既に5年ほどにわたり、「演劇性」そして「反演劇性」という概念について学術的また実践的に探究を続けてきました。「演劇」という表現が含まれるゆえ、劇場で上演される主に言語を用いる演劇の舞台を思い起こすかもしれません。しかし「演劇性」となると、狭い意味での演劇に直接かかわりを持たずとも、広く舞台芸術が保持する性質として考えられるのでないでしょうか。どれほどリアリズムを目指しても、パフォーマンスや舞台というコンテクストから完全に逃れることは不可能に思えます。反対に、そのコンテクストが存在するゆえの芸術でもあるでしょう。
まさにそのコンテクストを生み出すのが、記号を「記号の記号」として用いる、その仕組みにあるのではないかと考えています。道路標識や信号は日常生活で誰もがふれたことのある非言語的記号の一つです。例えば「止まれ」という道路標識が演劇の舞台上に設置されていたら、それは劇場外の日常生活で普段目にしている「止まれ」を指し示す記号として捉えられます。したがって、舞台上の「止まれ」は、現実社会で機能する「止まれ」という記号の記号なのです。役者やパフォーマーの言動や行動も同様に記号の記号として考えられます。このように、恣意性の有無に関わらず、舞台上またはパフォーマンスというコンテクストに位置づけられたすべてが、記号の記号となります。
コラボレーションが始動してから、一般に「普通」と考えられ、注意を向けられずにいる習慣的な物事の理解や捉え方についてともに思考してきました。上記の私の研究を踏まえ、芸術での記号の仕組みを理解したうえで、作品を作ろうという試みです。また、舞台芸術の「普通」にもアプローチしました。その際のキーワードとして、コミュニケーションの上で発生する「ブラック・ボックス」、陰謀論、ガスライティング等が挙げられます。
ブラック・ボックスとは、コミュニケーションにおいて発信者と受信者の間に生じる誤差を考える際に用いられます。情報が発信者の意図通りに受信者まで完全な形で届く可能性は、ほとんどないと考えられます。それは舞台芸術の表現とその受け取り方にも言えることでしょう。その一方で、パフォーマンスというコンテクストの中で、パフォーマーと観客の間にはさらに、ある種の階層構造・ヒエラルキーが慣習的に存在すると考えました。見る者と見られるもの、その間には見られるものが何かを与える側としての優位性を保持しているように感じます。心理学で扱われるガスライティングは、このような優位性を使って情報や相手の心理を操ることに関係します。コロナ禍を経てさらに表面化してきた陰謀論も、情報の操作や解釈の仕方に深く関係しており、避けられないテーマだと思いました。
「普通」ととらえられがちなコミュニケーションは、このような観点からみると複雑でありながら慣習的に成立してしまうものなのでしょう。これら現実社会での現象を、本プロジェクトの基本概念としてさらに発展・抽象化し、パフォーマンス+インスタレーションという形に昇華させた結果が、本プロジェクトの表現となりました。欧州文化首都タルトゥ2024の主題「Arts of Survival」を鑑みれば、これらはまた、人々が生きるための手がかりとして用いられてきたのかもしれないと考えました。
2年間にわたる制作期間中、菅原圭輔の拠点とするベルリンと私の拠点であるエストニアの間で、互いに場所を行き来してのリハーサルに加え、両者の日本一時帰国時に合わせて、日本でもリハーサルを行ったうえで一般に向けたオープンリハーサルを実施しました。実際に顔を合わせてのリハーサルに加えて、オンラインミーティングを重ね、最終的には2024年9月12日と14日のパフォーマンスに先立ち、約1カ月間のレジデンスとして集中的なリハーサルを行いました。エストニアの小さな街、ヴィリヤンディに位置する旧国立劇場で、24時間アクセスのできる場所でしたので、集中して作品制作に取り組むことができました。長期的に取り組んだからこそ、内容をじっくり詰めたプロジェクトとなったと自負しています。
タルトゥというエストニア南部に位置する都市の欧州文化首都のプロジェクトでしたが、南エストニアとヴィリヤンディもイベント開催地に含まれていました。私たちは、芸術大学がありながら、現代芸術に触れる機会の限られているヴィリヤンディを選びました。その立地から、多くの観客を望むことは難しく、実際にも開催場所を理由に見に来ることができないと連絡のあった人が多数いました。その反面、ヴィリヤンディの芸術大学につながりのある批評家や、タリンで現代舞台芸術を率いる立場にある方に来訪いただいたことは、自信につながりました。
今後、より多くの人々が訪れやすい場所での上演を計画しています。エストニア以外の地とも強いつながりがあるため、それぞれの文化的・社会的背景を考慮し、それに合わせてより適した形になるように修正を加えつつ、ベルリンや日本で発表できる機会を探っていく所存です。