ゆかし街ノヴィ・サドの歌姫との再会

平岡貴子|日本・ロシア音楽家協会、モスクワ・アマデウス歌劇場 ソプラノ歌手

「次は東京で会いましょう!」と、ノヴィ・サドで約束をした日から約8ヶ月。こんなに早く共演が実現するとは、夢にも思っていませんでした。

私とイェレナ・コンチャル氏との最初の出会いは、ノヴィ・サドにあるセルビア国立劇場の舞台の裏側。楽屋口から守衛さんの案内で、スマホの明かりを頼りに舞台の裏側へ進んでいくと「譜面台は一つでよろしいですか?」と美しい女性が譜面台を持って現れたのです!セルビア入国二日目、長時間のフライトで時差ボケの私は、その姿に多少気後れしながらも「はい!」と大きく右手を上げていました。

日本とセルビアという国との公式な接触は、1882年に明治天皇がセルビア王国のミラン・オブレノヴィッチⅠ世と書簡を交換したことにより始まりました。昨年はこの書簡交換から140年にあたり、また、ノヴィ・サドが欧州文化首都に指定されたことで、様々な日本の文化事業がセルビア国内で実施されました。私はこの機会にノヴィ・サドで、落語家の三遊亭楽麻呂師匠、ピアニストの門田佳子氏、写真家の中村正樹氏と共に江戸文化紹介事業「落語と音楽」の公演をさせていただきました。ノヴィ・サドの新しい文化センター「バルカ・カルチャー・ステーション」を皮切りにセルビア国内5都市に於いて5公演1交流会を行い、その折がイェレナ・コンチャル氏との出会いになったのです。

初めて訪れたノヴィサドの街並みは、オーストリア・ハンガリー帝国時代の文化が色濃く感じられ、静かで趣のあるたたずまいでした。旧市街地中心にはマリアの名聖堂カトリック教会がたち、セルビア正教会、ユダヤ教のシナゴーグも町の中に置かれ、異なる文化が混ざり合う重厚な姿を生みだしていました。

セルビアの人々は大変親日的で、武道、茶道、文学等の日本文化に関心を持つ人々も多く、アニメやコスプレ等のポップカルチャーも若者の間でとても人気があります。そのためか、ノヴィ・サドをはじめとし、訪問した各都市で大歓迎され、一人の演者が扇子と手ぬぐいを小道具としながら、何人もの役を座りながら演じる「落語」を心から楽しんでいた様子でした。また、江戸の歌を通しての「江戸町民文化紹介」にも大変興味を持ってくださり、セルビアでの文化交流事業の大切さを実感しました。
私たちの江戸文化紹介事業「落語と音楽」が欧州文化首都の関連行事となるのにご尽力いただいたミラン・ヴェリチュコヴィッチ氏は、天道流合気道道場をノヴィ・サドで主宰している方で、何度も日本を訪れています。彼のその凜とした立ち振る舞いは、まさに「道」。武道「薙刀」の嗜みがある私は、コンチャル氏がヴェリチュコヴィッチ氏の道場で合気道を習っているということを聞き、より親近感を覚えました。

Concert “Jewelry Box of the Danube” – opening song “Sakura” by Jelena Končar (mezzo soprano) and Yoshiko Kadota (piano) ©︎Tetsushi Yajima

「ドナウの宝石箱」コンサートは、中村正樹氏が撮影・作成した映像で幕開けとなりました。ノヴィ・サドの街の夜明け前、点のような光は一筋に伸び光の道となり、その輝く光は街を覆い、まっすぐにセルビア国立劇場の舞台へと放たれました。画面いっぱいに映ったセルビア国立劇場の客席は、今にも拍手が起こりそうなリアル感に満ちていました。

プログラムはセルビアや日本の曲に加え、コンチャル氏にはカルメンなどのオペラのアリアも披露していただきました。豊かな声量と円熟味溢れるコンチャル氏の歌声は、聴衆の誰をも魅了しました。私が最も気に入った曲は、ミロイェ・ミロイェヴィッチ氏の「日本」。まだ見ぬ大和(やまと)の国への憧れが、息の長い、流れるような旋律で描かれ、ピアノ伴奏はそれに呼応するように大きな流れとうねりを奏でていました。またそれとは対照的なイシドル・バーイッチ氏の「子守歌」。静かで美しい旋律は優しさに満ち、天使に見守られながら眠りについた我が子を愛おしむ母の姿が目に見えるようでした。

そのほかには、筆者(平岡)によるセルビア語の歌、コンチャル氏の日本語の歌、二重唱、和楽器の篠笛奏者である朱鷺たたら氏によるセルビアの曲や日本の曲の合奏など、バラエティーに富んだプログラムとなりました。私にとって二度目の取り組みのセルビア語の歌。ロシア語の歌も歌う私は、キリル文字表記のアルファベットは比較的容易に読むことができるのですが、歌うとなると事は別。セルビア語の歌を自分のレパートリーにするにはもう少し時間がかかりそうです。そして更に、ピアニストの門田佳子氏のセルビアや日本の曲の独奏、ゲストピアニストの福田里香氏によるセルビアピアノ曲の独奏や門田佳子氏との連弾(4手)など。「ドナウの宝石箱」からは、たくさんの音楽が飛び出してきた。

ナビゲーターは、NHK「ラジオ深夜便」で有名な村島章惠氏が引き受けてくださいました。村島氏は、番組でセルビア特集を企画してくださったこともあり、セルビアへの熱い思いが司会を通して伝わり、その滑らかで卓越した語りはコンサートをより一層豊かなものへと導いてくれました。

Concert “Jewelry Box of the Danube” – all the participating musicians after the concert: From left to right – Tatara Toki, Takako Hiraoka, Jelena Končar, Rika Fukuda, and Yoshiko Kadota ©︎Tetsushi Yajima

4月14日中目黒GTプラザホール「ドナウの宝石箱」コンサートは、イェレナ・コンチャルさんとの3つ目のコンサートでした。1つ目は4月10日に駐日セルビア共和国大使館にて、2つ目は12日に赤坂区民ホールにて開催。3つ目は唯一の有料コンサートだった為、チケット販売についての不安もありましたが、多くの方々が興味を持ってくださったお陰で、ご招待者も含めて約140名の方が来場され、満員御礼となりました。

今回の公演は、EU・ジャパンフェスト日本委員会様からの多大なご支援によりイェレナ・コンチャル氏が来日したことで実現しました。謹んで厚く御礼申し上げます。加えて、セルビア国立劇場からのご支援、駐日セルビア共和国大使館や日本セルビア協会ほか、大勢の方々にご協力をいただきました。重ねて御礼申し上げます。

私たちにとって、コンチャル氏との共演は今回が初めてでした。まさに最初の一歩。私たちは、日本とセルビアの相互理解と友好関係を深めるために、今後もこのような文化芸術交流活動を続けていきたいと思っています。