コラム
Column異文化と人々が結びつく瞬間
私は今、ヴェスプレーム の街の一角にひっそりと、しかし堂々と造られた日本庭園の通りに立ち、来春の桜開花と青芝の庭園を想像しながら静かに喜びを噛みしめている。この日本庭園コーナーは、裏通りから街の中心部へ向かう道沿いにあり、人々は足早に私の前を通り過ぎていく。ほとんどの人はこのコーナーに目もくれず歩いて行くのだが、中には一瞬庭に目を落としてから私に視線を向けてニコッと微笑んで横切る人もいる。その一方で、じっと見て不思議そうな顔をして去っていく人もいる。
5日間の造園期間中も、驚くほどいろいろな反応があった。日本庭園ができると知って笑顔やグッドサインを送ってくる人が大半であったが、中には少し怪訝そうな顔で質問し、その曇らせた表情を崩すことなくさっさとその場を離れていく人もいた。
突如現れた異質なものへの拒否反応は自然なことだし、異文化との化学反応はこれからも起こることだろう。しかし、異に合わなければ、決して結びつくことはない。欧州文化首都に投じた私たちの「SAKURAプロジェクト」は、欧州の人々に日本という異文化との結合の機会を提供できたと信じている。
私はヴェスプレームにあるミネルバ・オルタナティブ教育センターで日本語教育に携わっている。現在、10歳から大学生、社会人まで約25人の生徒が日本という国の言葉を勉強している。アニメが好きで日本語に興味を持った人、日本語の発音に惹かれて学び始めた人、純粋に言語習得を目的に通っている人、動機は様々だ。また、旅先で日本人と出会ったから、日系企業に就職するからなど、偶然のきっかけで日本語の世界を覗きたいと思った学習者もいる。しかし、動機が何であれ、外国語学習の最終目標は異文化理解であることを踏まえて、私は日々教室で教えている
このプロジェクトは当初、日本語学習者に日本文化を紹介する目的で計画された。言語では説明できない側面に、非言語・アートで触れてもらう。テーマは日本人にとって深い意味を持つ「桜」に設定され、アーティストも選ばれた。しかし、これは日本語教師の領域を超えた仕事だったので各専門家に助けを求め、キュレーター、造園家、デザイナーなど多くのスペシャリストの協力を得て2つの柱でプログラムを揃えることができた。ひとつは「日本アートの展示」、もうひとつは「日本庭園の造園」である。
プロジェクトは、日本とハンガリーの様々な方面から資金サポートも受けた。「展覧会」は岐阜県ハンガリー友好協会よりご支援頂いた。「日本庭園」はヴェスプレーム市より公共スペースが提供され、在ハンガリー日本国大使館より桜が寄贈された。また、日本の経済団体・在ハンガリー日本商工会、ハンガリーの経済団体・ハンガリー日本エコノミッククラブ、文化団体・アカデミア・ヒューマン基金のご理解も得ることができた。
こうして、日本語教室の小さな企画は、欧州文化首都の公式プロジェクトとなった。
展覧会「The Circle of Life」は、ハウス・オブ・アーツの協力を得て現代美術館ドゥブニツァィ宮殿で開催された。アーティストは、ハンガリーのDerkó 2022を受賞した岐阜県飛騨小坂出身の画家リーヴィース安奈と、外国人で初となる日本経済産業大臣賞を受賞した創作こけし作家トート・ヴァーシャールヘイ・レーカが選ばれ、”ハンガリーで美術を学んだ日本人”と”日本の伝統工芸を学んだハンガリー人”の作品が展示された。オープニング・セレモニーでは、大鷹日本国大使、ポルガ市長が挨拶し、二国間の文化交流の重要性を強調した。
リーヴィース氏の作品は、「無常」をテーマに顔彩や水墨を使って非常に繊細な技法で描写されている。人生の絶え間ない変化を受け入れ、過ぎ去ることと新しいものの誕生の密接な関係を表現している。19世紀の屏風に描かれた作品も展示された。屏風は硫化変化により時間とともに黒く変色し作品は変化し続ける。
トート氏(作家名・蓮華)は、ハンガリー、オーストリア、日本で研鑽を積み、2011年から5,000体以上のこけしを制作している。彼女はこどもの頃、近所に住んでいた日本人家族との友情を通して日本文化に魅了された。こけしを通して日本とハンガリーの文化をもっと身近に感じてもらいたいと、ハンガリーの民族衣装をこけしで紹介したり、ハンガリー語でこけしの本を出版したりしている。
「日本庭園」は、元名古屋市東山植物園長、長年名古屋市緑地に従事し、現在はコンサルタント会社で顧問を務める造園・環境技術士の森田高尚氏に依頼され、ヴェスプレームの古都の景観に調和する日本の伝統的な庭園が設計された。植樹・造園は、日本語学習者や日本文化に関心のあるボランティアと一緒に楽しく作業が進められた。しかし、現場は重機の入れない場所だった為、石組み作業は一筋縄ではいかなかった。石はクレーンを吊り上げ大型の牽引車に降ろして人力で運び、テコで向きを変え、ロープで引っ張り据え付けた。
今後は、教育センターの子どもたちとボランティアが庭園の公共エリアを管理する。しかし、その管理スケジュールには、清掃、草取り、芝刈りだけでなく、野点のような四季折々の日本関連事業も含まれている。これから先、この場所ではさまざまな交流やイベントが予定されている。
SAKURAプロジェクトがスタートしたのは、街の木々が芽吹き始め、待ちに待った春の訪れを感じる頃だった。展覧会がオープンした日、植えられたばかりの桜が満開になった。庭園のデザインは深緑の頃にできあがり、石組みは小暑に完成した。そして、木の葉が赤や黄色に美しく染まる頃、半年以上に及んだプロジェクトは一旦幕を閉じた。
私の立っている場所から少し離れた高台で、若者が手すりに寄りかかり、庭園とまだ小さな紅葉を眺めておしゃべりしている。彼らにここが日本庭園だと気づいているかどうかはわからない。しかし、このプロジェクトはこの先も季節とともに、日本とさりげなく結びつく瞬間を私たちに与え続けてくれることだろう。