コラム
Column2023年度の活動を振り返って
日本・クロアチア外交関係樹立30周年にあたる2023年には、両国で様々なイベントが開催されました。その一つとして、クロアチアのソプラノ歌手マリヤ・ヴィドヴィッチさんとの共演が東京・十日町・大阪の3ヶ所で実現し、いずれも日本とクロアチアの友情を祝して盛大に開催されました。
東京のコンサートは、7月6日、駐日欧州連合代表部の拠点ヨーロッパハウスにて、クロアチアのEU加盟10周年記念を兼ねて開催されました。今回もタカギクラヴィアの皆さんにピアノを運んでいただきました。クロアチア・日本・EUの国歌演奏で幕を開け、今回の演奏ツアーのためにご尽力いただいたクロアチア大使のドラジェン・フラスティッチ氏、EU大使のジャン=エリック・パケ氏、山田賢司外務副大臣、河野太郎大臣のスピーチの後、約1時間のコンサートを行いました。3ヶ所とも同じ3部構成のプログラムで、1部はリストやシューベルト、シューマンなどのドイツ・リート、2部はフランスやイタリア歌曲など、3部では石川啄木作詞、越谷達之助作曲の『初恋』のほか、ドラ・ペヤチェヴィッチ、イヴァン・ザイツ、ヨシプ・ハッツェなどクロアチア人作曲家による歌曲を演奏しました。演奏後のレセプションでは、私達のコンサートのために来日したクロアチア・オリンピック委員会会長のズラトコ・マテシャ元首相が乾杯の音頭をとり、クロアチア大使夫人によるクロアチア料理と飲み物が振る舞われました。
続いて、十日町のコンサートは、7月9日、越後妻有文化ホール「段十ろう」にて、十日町市とクロアチアの友好交流20周年記念も兼ねて開催されました。前日には、関口市長が歓迎夕食会を催してくださり、フラスティッチ大使、マテシャ会長、地元県議会議員や市議会議長らが出席し、両国の友情を祝って皆で乾杯しました。コンサート後にはクロアチア・ホームタウンクラブ主催の歓迎会が開かれ、フラスティッチ大使とマテシャ会長を交えて、両国の絆を深めるための今後のプロジェクトについて様々な提案が交わされました。
さらに、7月11日、大阪のリーガロイヤルホテルのダイヤモンドルームにて、在大阪クロアチア領事館開館記念を兼ねてコンサートが開かれました。コンサート後には、フラスティッチ大使や姫野勉大使、新たに名誉領事に就任した衣斐茂樹氏のご挨拶もあり、華やかなレセプションが催されました。
9月には、ロヴィーニ、ウマグ、ザグレブ、ヴィンコヴチのクロアチア4都市で演奏を行い、各地で旧交を温めたほか、多くの新たな出逢いにも恵まれ、今後の活動の展望が広がりました。
ロヴィーニのコンサートは、クロアチアのメゾ・ソプラノ歌手カティア・マルコティッチさんが20年以上に亘って開催している音楽祭の一環として、9月6日、聖フランチェスコ教会で開催されました。クロアチア滞在中に大変お世話になった礒正人大使のご臨席も賜り、コンサート後には、ロヴィーニの副市長達と懇談を楽しみました。この音楽祭への出演は3度目で、1度目は留学して間もない1999年のことでしたが、まるで昨日のことのように鮮明に覚えています。その頃、カティアさんが歌うペヤチェヴィッチの歌曲の伴奏をさせていただいたことが、ペヤチェヴィッチに興味を持つきっかけとなりました。近年、音楽祭のスポンサー企業が減ってしまい、音楽祭の継続も大変なようですが、そんな中、彼女が自ら交渉してウマグでのコンサートの話も持ってきてくれました。
翌9月7日、ウマグのコンサート会場は、町の中心の大きな広場に面した美しいカトリック教会でした。この町を訪れるのは初めてで、どれだけの人が来てくれるか心配でしたが、満員の盛況で、嬉しい驚きでした。ロヴィーニからの移動中に目にした巨大なポスターにも驚きましたが、一番驚いたのは、広告を見てフラッと音楽を聴きに来た人がこんなにいたということです。
2023年の特筆すべき出来事として、クロアチア初上陸から25年という私にとっても節目の年に、外務大臣表彰を受賞しました。9月13日、ザグレブの日本大使公邸にて表彰式と祝賀レセプションが開催されました。応援し支えてくださっている全ての皆様に感謝の気持ちで一杯です。
さて、クロアチア東部の町ヴィンコヴチには今回も足を運びました。町の中心に7月オープンしたばかりの公立図書館が建っていて、偶然、音楽学校からコンサート用のピアノが運び込まれたところでした。施設の素晴らしさに感動し、急遽、そこでコンサートをさせていただくことになりました。1-2日前の告知にも関わらず、大勢の人が集まってくれて、コンサート後には、ヴィンコヴチ来訪15周年と10回目のコンサート、外務大臣表彰受賞を温かく祝ってくれました。前日には、地元の伝統ある高校で授業を行い、高校生との交流も楽しみました。
今回のクロアチア滞在中に驚いたことの一つは、ペヤチェヴィッチに対する関心の高まりです。つい最近まで「クロアチアの知られざる作曲家」と紹介されていた彼女が、没後100年にあたる2023年には「クロアチアの有名な作曲家」と紹介され、作品や生涯についてのドキュメンタリーが放送されたり、シンポジウムが開かれたりしていました。
海外渡航にはハプニングがつきものですが、今回は、成田空港での搭乗手続きの直前にぎっくり腰に見舞われ、文字通り、やっとこさ、ザグレブまで辿り着きました。コンサートの交渉からツアーコーディネート、現地での練習場所の確保、演奏まで全て1人で行っているので、渡航前も渡航中も大忙し。また、重い荷物を持ち上げることも多いので、腰への負担も溜まっていたのでしょう。腰が治った頃に、今度は転けて膝を怪我してしまい、4日間一歩も外に出られず。ちょっとした油断がとんでもない怪我や事故に繋がることを思い知らされ、ゆとりのあるスケジュールの大切さを改めて痛感しました。
最後に、EU・ジャパンフェスト日本委員会の皆様の温かいご支援に、心より感謝申し上げます。これからもピアノを通じて日本とクロアチアの架け橋となれるような活動を続けていきたいと思います。