コラム
Column「『人々/光』の土地」の不思議な夜の夢
チェコ共和国西部の西ボヘミアの中心都市プルゼニ。「ボヘミア」はチェコ語ではČechy、チェコ人Češiの語源であり表題の意味とのこと。そこで行われた今年の欧州文化首都プルゼニ2015の初回のアートイベントー「Light Festival」に参加。
このイベントは市中を流れるラトビア川沿いに光のアート作品を街中展示し、ピルゼン発祥のピルスナービール工場の地下、バロック様式の歴史建築保存地区の中心街の建築内やプロジェクションマッピングに加え、橋下、レンガ造に煙突の残るレトロ廃工場など8カ所を巡るもの。「冬を元気に」と「風景や場所」という「資産」を「再発見する」意味があった。
私の展示会場は中心部から歩いて30分。ラトビア川が蛇行し広がる大きな河岸段丘下、アクセス時にはダイナミックに対岸や周辺の美しい村が見渡せる。崖に囲われた林、以前は川そのものが市民プールだった深くたたえられた水辺には散策路やボート乗場、薬物とアルコールのリハビリ施設などがあり「生活と自然」の接点となる公共空間。犬を散歩する市民の方々や児童などがゆっくりと行き交う静かな場所。
けれどその不思議な夜は一変した。
川面が深い青に照らされ、河畔の木々が白く青く浮かび上がる中、暖かなキャンドルライトが揺れ、まるでお伽話の世界にすっぽり入った幻想的な空間に生まれ変わっていた。そこで皆が火を囲み延々と続くショーや音楽。
その世界と一体だが少し離れた林の暗闇に、私はピルゼンの市民とスタッフの方々が集めてくれたペットボトルにチェコガラスの色ビー玉、ペットの呼吸する性質から出来る無数の小さな水滴のレンズとLEDをバインドした400灯の「ライトボトルズ」を氷の池と花々に見立て咲かせてみた。
当初予定の展示場所は中心部。しかし隣接するサッカー場の照明や安全検討にてピルゼン到着後に変更。街中とは言い難い会場に正直「人は来るのか?」。準備中に今までの人生でみたことのない暗闇へ一人、凍った夜道を歩き転び、最初の主張を簡単に曲げた自分が情けなく悶々し通っていた。
しかし当夜、一体どこからこんなにも人が沸いてきたのか?会場を巡るコースには三脚とカメラを手に走る人、家族連れ、アートファン、はしゃぐ子供、笑顔でたたずむカップル達。狭い会場は日本のイベント以上の人口密度で、光を楽しむ人の表情は日本もチェコも変わらず、氷の池と花は『ピルゼンの人々と光』のお伽の国に守られ、想像外の連携をつくっていた。
今回のライトは全てチェコ産のボトルを使用。日本とは異なりまるでボフェミアガラスの前身「森のガラス」ような淡いグリーンやブルー、薄い材質に繊細な模様、バロック的優雅なカーブを持つ。私がボトルを選びカットしピルゼンのボランティアの方々が一灯一灯組み立ててくれた。展示中も切ったボトルの残りの欠片とLEDで光る花をつくり来場者とワークショップで作品に植え足したが、その愛おしげで丁寧な手つきに驚く。
「ワークショップに出れないがどうしても欲しい」「展示に参加できるの?」「エレクトリカルシテイの者だ、電池の種類は?アメージングじゃないか!」時折掛けられる声もまた想定外。この作品を作り上げる過程で、作家としても人としても力不足、語学も不十分、日本との気象条件の違いプロダクトの変更などもあり、混乱し通し周りに迷惑をかけ通しの、情けなく拙い私の仕事を多くの人々が支えてくださった。ボトル集めから他の資材調達、下準備、場所の提供、制作途中に仕様をあげてくれた方、展示の設営、ワークショップで通訳やアシストに着いてくれた若い方々などなど、ピルゼンの人たちの素晴らしさ-繊細な感受性、優しさ、誠実さ、強さ、励ましに触れ、深い感謝とともにとても幸せな時間を過ごせた。
私は横浜市で開催された「省エネ技術とアートを融合」し新しい都市の夜景をつくる「スマートイルミネーション横浜2013」第一回のアワードでソーラーライトと日本のペットボトル、洗剤などから成る「Light Bottles」で賞を頂いた。これはスマートイルミネーション横浜のコンセプトにあわせ、ペットボトルの底が持つ船のデッキプリズムと同じ効果がフィリピンなどのスラム街の天窓照明に使用され、廉価にその街の生活を変えた事例の紹介でもあり、福島県内の企業の販売するボトルを使ってもいた。
その後この滞在までの1年はこのプロダクトをインスタレーションに展開させるバリエーションのみ追求していた。思えばどこかに「気負い」や「無理」があった。またペットボトルとソーラーだから「エコ」で「リサイクル」と取り上げられ今回の展示に呼ばれたと思い、自分で自分を縛ってもいた。
今回、チェコのボトルやピルゼンの人々と素直に向き合う中、ペットボトルの使用のはじまりは実はリサイクルという観点ではなく、日常にありふれたプロダクトに隠れた創意工夫や機能を見つけ、その美しさや面白さを「使ってみたい」と思う子供のような気持ちからだったことを思い出した。一方で、現地の街から森、工場団地や廃棄物処理場の中にまで入り、日常的な工業製品にはそのつくる人たちの文化や社会的な背景が顕われると再認識。もっと勇気を出し、チェコのボトルの持つ個性ー優美な形や質感や軽さ、氷点下の環境などの日本との違いを逆に生かし、新しいアイデイアで踏み込んだ展開もできたはず。
それでも私のライトの紹介でピルゼン出身のチェコの国民的アニメーション作家イジー・トルンカの絵を思い出す「蛍」と呼んで貰えた。またあのお伽の国の演出は「身近なものに光をあてるという日本人アーチストKazumiの作品から得た着想」とプルゼニ2015のFacebookで書かれ光栄で、今後はその言葉に追いつけるよう、光りや身近な素材を使いながらもより自由な制作と表現をめざしたい。それを容易にするには、プロジェクトの進め方、コミュニケーション能力、思考の整理と決断力など、今回痛感した人としての課題が多く、今後よくよく修正していきたい。