こうして旅が始まる

杉本 龍哉

“To travel is to live.”
Hans Christian Andersen: The Fairy Tale of My Life: An Autobiography

 

2021年5月、L氏と展覧会をするためにまだ寒さの残るコペンハーゲンへ足を運びました。

デンマークの童話作家で知られるクリスチャン・アンデルセンの著書『アンデルセン自伝—わが生涯の物語』の中で出会った「旅することは、生きること」という言葉に惹かれ、デンマーク語で「旅の中」という意味を持つ言葉を展覧会のタイトルとして掲げました。この際に展示した作品《Travel to Double Landscapes》は、コペンハーゲンの路上で見つけた抽象的な風景画を持ち歩きながら、街で出会った人たちに「ここに描かれている風景はどこにありますか?」と尋ねながら旅をした、10日間の旅行記を木彫作品にした内容でした。最終的には14人の方たちが特定の場所を教えてくれましたが1つとして同じ場所はなく、私がそこを訪れている最中は彼らの記憶の中を歩いているようでした。この作品は、木に彫刻された風景が干割れによって変容していく木の特性と脆さや儚さといった記憶の特徴を関連づけることで過去も未来もなく、現在も変容のなかにあるものだと思っています。

 また、この展示を通じてS氏と出会い、お互いのこれまでの作品や展示について話しあうなかでサイトスペシフィックアートにおける、再展示の可能/不可能性や個々の土地に根付いている文脈をどのように引き剥がして出来事(作品)だけを別の場所に移送していくかなど、これから制作を続けていくなかで欠かせないことにも触れることができました。それがきっかけとなりこの作品過程で収集した風景の写真やドローイング、 招待された誕生日パーティーや環境問題に関しての集まりなど、私の関心があるなしに関わらず風景を探す道中に不可欠だった出来事をもとに絵本を作りました。本作品のきっかけとなった風景画は、展覧会後に同じ場所へ戻したので、これからはこの冊子が風景画の代わりとなって読者の方を旅に招待し、また別の思いを巡らし、繋がっていくことを願っています。

 2022年2月にハンブルクで行われた展覧会では、《Transit》と 《Flügel – Anbau》という作品を発表しました。

《Transit》は、バスの車両と車両を1つに繋ぐ蛇腹型の通路(Faltenbalg)を6つ連結させた作品です。バスの中の通路に立っていた時、バスが道路を曲がる度に下半身も同じ方向に曲がるため、その部分に立つには微妙な身体バランスと華麗なステップが求められることや、バスの中にある対立した2つの空間同士の繋がりや1つの空間内に突然できた通り道に関心を持ったのが制作の始まりでした。設置場所が大きな課題だったのですが大学図書館へ行き、建設時当初の設計図やその建設にまつわる本を読み進んでいると、現在の展示空間に設置された壁が設計図には書かれていないことや当初使われていた扉や窓の工事跡が見えるようになり新鮮な体験でした。来場者はこの作品を通じて1つに繋がった蛇腹型の通り路を実際に歩きながら現在は改装されて存在しない建築空間を通過することが可能となり、空間の内側から内側へ移動できる寄り道を鑑賞することができました。

《Flügel – Anbau》は、私が使っている学内スタジオの天井裏から午後5時頃になると物音が聞こえてくるため、訪れてくれた友人たちが何もない天井を丁寧に観察する様子に触発され、何かを通さないと見ることができない状況をテーマに制作を進めました。実際に、音の原因を探してもらうために駆除会社の方にスタジオ兼展覧会スペースの天井裏や壁裏、建物の周辺を調べてもらい調査票を作ってもらいました。展示では、展覧会場の壁には額縁に入った調査票のみが掛けられていて、そこに書かれた文章を読んだ人は実際にこの壁の天井裏で行われた駆除業者による特別な調査を認識しながら天井を見上げて、見えない隙間を鑑賞することができました。

 これからの活動については、資料作りにも力を入れて積極的に外部へ作品を発表していきたいと思っています。また私が置かれた環境で出会った現地の人とのコミュニケーションから生まれる発見と制度を拡張させる要素への研究を続け、書籍では語られない人々の生業や仕草、場所に深い由来のある事象をグローバリズムの中で変わりゆく社会状況から捉え直していこうと考えています。例えばポットの使い方を変えてみる。(そもそもモノに正しい使い方が存在するのか?)お湯を沸かしてお茶を飲むとかコーヒーを飲むとかではなく、全くポットを傷つけることなく違う使い方があるのかもしれない。あるいはポットとしてはもしかしたら自分の本当の仕事はこっちだったんじゃないかという風にポット本人も勘違いしてしまいそうな使い方があるのかもしれません。私はそうした当たり前のようにしてしまう行動の心理学にも関心があります。コーヒーを飲んで美味しいとか、ポットをポットとして使うのではなくて、置かれる意味や文脈を変えていくことで、通常そのものがあるかたちとは違う文脈に置きはずれさせることができるのではないでしょうか。それは文脈を変えていく、意味をずらすみたいな作業です。少しずらしてみると同じ風景からでも全く違った風景、全く違った意味を運ぶように、作品を通じてそういった境界線を引き直し、自分自身も改変が出来る世界へいきたいですし、アートが解放していっているという感触は確かにあるように思います。

“Air Channel” by Tatsuya Sugimoto: Exhibition “Jahresausstellung 2022” at HFBK Hamburg, Germany, on 11-13 Feb. 2022

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*プッシュ型支援プロジェクト#TuneUpforECoC 支援アーティスト*
https://www.eu-japanfest.org/tuneupforecoc/