コラム
Columnプルゼニでの気づき
相手の力を利用する、腕力などの筋肉に頼らず、余計な力を抜くことに重点を置く…合気道は「武道」という言葉から想像する力強さや荒々しさと遠いイメージも持ち合わせているため、強くなりたいという理由以外に美容や健康、深い精神性を学ぶ、日本文化らしい趣味として習う人も多いと思う。
私が合気道に出会ったのは、自らの心の癖について学ぶうち、心と身体は深く関わっていると気がついたことが始まりだ。関わっているどころかお互いがお互いそのものであるようだった。そして強張りやすい心の癖を変えるために、筋肉の力に頼らず、余計な力を抜くこと―つまり「ゆるめること」に重点を置く合気道を始めた。
今回のプルゼニ滞在は「ゆるめること」の重要性を改めて感じる経験、そして「日本文化としての合気道」を考えるきっかけを作ってくれた。
2015年6月4日から8日までの5日間、私はプルゼニに滞在し、6日と7日はペトル・クルムハンズル氏が師範を務める合気道セミナーに参加した。合気道の稽古ではまず、師範が稽古者たちの前で模範となる技の型を見せて簡単な説明をし、稽古者たちは二人一組になり稽古を始める。基本的に日本と稽古の流れ、雰囲気は同じだが大きく違うように思えた点は、日本だと自分の腕力に頼りすぎた技の稽古をしている時や型がしっかりしていない時にアドバイスを受けることがある。しかし外国ではどちらかというともくもくと稽古に励む印象だった。なんとなく日本と外国のイメージが逆になったような不思議な雰囲気で、自分で考える機会をいつも以上に与えられたと感じた。体術以外にも木剣や杖を使った武器の稽古や、相手の肩と腕がどれくらい背中側に動くのかをゆっくり試す「相手の身体を感じる」練習や、合気道の理解を助けるための居合の稽古もした。一つ一つが大切な動作の稽古であり、初心者も有段者も勉強になることの多い非常にまとまりを感じるセミナーだった。
この出来事から普段の稽古でも繰り返し言われている、筋肉の力に頼らずもっと余計な力を抜くことを意識した身体の使い方をすること、そしてどんな場でも楽しめるよう心の緊張をほぐすこと、つまり「ゆるめること」の重要性を改めて感じたのだった。
そして「日本文化としての合気道」を考えるきっかけを得たのは、今回のセミナーとセミナー開催前の二日間に、プルゼニの人々がいつも行っている稽古を経験したことからだ。稽古は平日の夜に会社員や学生、時間帯が少し早ければ子ども達も来て、若い人々を中心に行われている。指導をするのは合気道の指導を専門の仕事にしている人ではないが、合気道の技術や段位もきちんと持っている。平日は毎日稽古が行われているという頻度の多さからも、外国の人々が熱心に稽古をしている事実、そして合気道が世界へ広がり浸透していることを肌で感じた。
また、その熱心さは日本から合気道の先生を招待する理由にも表れている。もちろん理由は人それぞれだと思うが、一つは「招待した先生自身」から学びを得たい場合。もう一つは「その先生の師であった方の面影」を感じ、何かを見出だしたい場合だった。
合気道が世界に広がるにつれ、「日本文化」の枠を出てその国や地域の色を持ち合わせたものとなるのは自然な事だが、合気道の根底には「日本文化」が流れ重要な役割を果たし続けるのではないだろうか。それは袴や道着といった見た目の「日本文化」ではなく身体の使い方、心のありかたなど様々な側面からその存在を感じることができる。例え彼らが「日本文化」と捉えていなくとも、外国の人々は多くの先生から高いレベルでそれらを見出だしたいのだと思うと同時に、日本に生まれた私たちも根底に流れる「日本文化」に気づき、学び、稽古や日常生活で実践し続ける重要性を感じた。その気づきへの鍵が心と身体を「ゆるめること」にあり、そして実践を続けることが「合気道を通して文化交流」をする一つの形へとつながり、交流する人々に楽しみやそれぞれの持つ文化に新しい気づきを与えるのだと思う。
最後に、このような素晴らしい機会を与えてくださったEU・ジャパンフェストの皆様、セミナーで師範を務めてくださったペトル・クルムハンズル氏、合気道セミナーの企画を進めてくださったヤロスラフ・シープ氏、ならびに関係者の皆様に心から感謝いたします。どうもありがとうございました。