コラム
Columnリトアニアと新発田、循環する記憶
わたしたちは新潟県新発田市で『写真の町シバタ』という活動をしています。この会は市民有志により運営され、2011年から毎年秋に会と同名のイベントを主催しています。商店地区にアルバムから選んだ写真ポスターを飾る『まちの記憶』という展示がメインで、昨年度から”土地と記憶”をテーマとする写真家の企画展も行なっています。本年度の企画展は、リトアニア人写真家アルトゥーラス・ヴァリャウガの『リトアニア写真家の見た新潟 –European Eyes on Japan / Japan Today vol. 11-』で、当会初の海外作家招聘となりました。築100年近い現役の酒蔵を会場に、2009年冬、アルトゥーラスが『日本に向けられたヨーロッパ人の眼・ジャパントゥデイ』で新潟県に滞在時の作品群『日本の日々のメニュー(Japanese Daily Menu)』と、バルト海を行き交う人々を捉えた新編『Between the Shores』が、iPadのスライドショーで併設展示されました。
企画展キュレーターの菊田樹子さんと話し合うなかで「『写真の町シバタ』でヨーロピアン・アイズの展示を」という案が出た当初、わたしは直感で「面白い」と思ったものの、地方中小都市新発田で海外作家の企画展が成立するものかどうか、動員数や受入態勢等に一抹の不安を感じてもいました。
駐日リトアニア大使ご夫妻をお迎えした初日レセプションをはじめ、会期中大勢の市民が会場を訪れ、不安は杞憂に終わりました。会場提供の金升酒造では、髙橋社長と従業員皆様からの厚いご協力を頂戴し、まさに『日本の日々のメニュー』である酒の蔵での作品展示という絶妙な場の力をお借りできました。
新潟では、アルトゥーラスの撮影地である阿賀野川以北地域を阿賀北と呼び、その中核地の新発田には、城下町の伝統と明治に陸軍駐屯地として栄えた開化性が共在しています。商家に歴史的記録写真が残り、明治創業の老舗写真館が存続する”写真の町”でもあります。『写真の町シバタ』は、地域資産である写真文化の保護、記憶のアーカイヴ化を目指し、市や地元大学と協働しています。『まちの記憶』取材時にも感じますが、良質な写真や文化を持ちながらも外に見せない内向性が新発田の気風で、日本では馴染みの薄い国の作家や作品が、閉じたサロンのような町で受け入れられるのだろうかという不安もありました。一方でアルトゥーラスの作品の誠実さと端整さは、新発田人に好まれるだろうという期待もありました。実際、作家も作品も非常に歓迎されました。何度目かの来日であることを踏まえても、アルトゥーラスとキュレーターのエグレ・デルトゥヴァイテは新発田によく馴染んでいました。新発田到着の日、わたしは二人が旅の疲れを取りに日帰り温泉にいると聞き、挨拶に寄りました。風呂上がりに休憩室で寛ぐ二人と初対面となったのは、よい思い出です。
「見慣れた景色を異邦人の眼を通して再発見する」というのがヨーロピアン・アイズ・シリーズの主旨と理解しています。わたし自身が”新しい視点”で得たのは、むしろ国を超えて通底するもので、土地を背景とした人の営みへの慈しみであり、土地に記憶を生かすという使命への気づきでした。20年近い東京生活後、帰郷当時の新発田は、わたしにとって “馴染みの薄い故郷”となってしまった、いわば硬直した記憶の土地でした。2013年にわたしが『写真の町シバタ』の活動を知って参加したのは、それを解きほぐす機会と考えたからです。先日、消雪パイプの湯気立ちのぼる夜、雪に降りこめられた農村部を車で走りながら、わたしはアルトゥーラスの作品を思い浮かべていました。自分にとってパラレルな世界であるはずの『リトアニア写真家の見た新潟』のなかにいる気がしたのです。それは彼が新潟の厄介な冬とそこに暮らす人々の営みに寄り添った証しであると同時に、彼の記憶が作品を介してわたしに循環した印しであるとも感じました。循環する記憶とは、生きている記憶と言えるのではないでしょうか。それは、わたしたちが取り組む『まちの記憶』に通じるテーマでもあります。
最後に、字数が尽きて各々のお名前を挙げられないのが心残りですが、不慣れな運営にご協力くださった関係各所の皆様に心よりお礼申し上げます。