コラム
Column文楽の世界への旅
私は演劇学校の学生の頃から文楽を観る事を夢見ていました。それから約20年後、欧州文化首都プロヴディフ2019の一環として「文楽人形の精神」というプロジェクトを始める可能性が生まれ、プロヴディフ州立人形劇場という最高のパートナーをみつけました。劇場支配人であるヴィクトル・ボイチェフ氏はとても熱心で協力的でしたが、プロジェクトの実現に向けて費やした2年間は長い旅路でした!プーク人形劇場および国立文楽劇場との交渉のために二度日本に足を運び、一度はボイチェフ氏と共に日本を訪れました。大阪では二日間に渡って文楽の様々な演目を観ることが出来て、文楽への愛が一層強いものになりました。ボイチェフ氏も私も、それぞれの演目の中にみられる熟達した技巧やその美しさに魅了され、驚嘆し、古くから何世紀にもわたって伝わる永久のものに触れたように感じました。二度目は同僚の舞台美術のユリアナ・ナイマン氏と共に来日し、再び大阪の国立文楽劇場を訪れ、人形の衣装の着付け、髪結い、舞台装飾、長い龍の作り方等についての技術や工程を見せてもらいました。そして、文化についての理解を深め、未来の公演についてイメージを膨らませるために、「いいだ人形劇フェスタ」や京都の多くの寺院を訪れました。また、日本の伝統芸能への知見を広げるために、能や歌舞伎の公演も何度も観に行きました。東京では、プロジェクトのために新たにオリジナルの文楽人形を制作してくれる劇人形作家の川口新氏にお会いすることができました。人形の容姿について合意するのに半年を要しましたが、人形が完成し生まれた時、彼女の美しさと完成の喜びから私は心臓が止まるような思いでした。佐渡島を訪れた際には文弥人形の公演を観て、西橋健氏にお会いしました。西橋氏の一座でブルガリア人の女優一名に稽古をつけていただき、彼女のために文弥人形の様式で王子の人形を制作しました。王女の文楽人形を操る三名のブルガリアの女優は人形を遣えるようになる為に2ヶ月間試行錯誤を重ねました。俳優でもあるボイチェフ氏は文楽の語りの役割(太夫)に非常に感銘を受け我々の公演で実際に演じました。2ヶ月の稽古の後、『海の王子と地球の王子』という作品が2019年4月21日に誕生しました。観客は日本からやってきた文楽人形の王女に宿る文楽の魂、そして日本とブルガリアが融合し分かち合った美学的思想の優美さに心を奪われました。この公演はプロジェクトの第一部「日本の伝統芸能—文楽—にインスピレーションを受けた人形劇の創作」の最後を飾る作品で、ある兄弟が海神の娘である龍の王女と恋に落ち日本で最初の天皇が誕生する、という有名な日本神話を基にしたお話でした。
2019年9月に「日本人形劇週間:文楽人形の精神—レクチャー・デモンストレーション」を開催し、日本から計13名の操り人形師がブルガリアのプロヴディフおよびソフィアを訪れました。東京のプーク人形劇団は、プロジェクトのために特別に準備された様々な種類の人形のデモンストレーションを含む「日本の人形劇について」を発表しました。観客は車人形や獅子舞等これまでに見た事がない珍しいものを観ることができました。中でも、プークのアーティストが車人形をブルガリアの女性に仕立て、ブルガリアの民族音楽に合わせて踊らせたのは、観客を大いに喜ばせました。「日本人形劇週間」は在ブルガリア日本国大使館が主宰する第30回日本文化月間の一環として執り行われました。『海の王子と地球の王子』はソフィアでも公演を行い、観客はその独特の感性に感銘を受け、日本の伝統文化に対して敬意を表しました。プログラムの終わりには大阪の国立文楽劇場の4名の人形遣いによる発表を行いました。彼らをブルガリアに招くのはブルガリアと日本の文化交流の歴史の中では二度目となり、私は、二年間の交渉の末それを実現できたことを大変嬉しく思います。ソフィアでのプログラムは在ブルガリア日本大使館、駐ブルガリア大使の渡邉正人氏のスピーチによって開会しました。期間中はブルガリア国営テレビによる国立文楽劇場の代表である吉田玉助氏へのインタビューもありました。劇場は関係者や一般のお客様で満員でした。観客は非常に熱狂的で、文楽の公演が行われたソフィア人形劇場の監督は、ブルガリアの人形劇にとって歴史的な出来事が彼の劇場で起こっている事を誇りに思っていました。
プロヴディフでは、我々の公演で文楽の人形の指導をした人形遣いが、日本の文楽のアーティストと1時間交流する時間を設ける事が出来ました。それは異なる文化芸術を理解するのにとても貴重な時間となりました。
プロヴディフでの文楽の公演では、観客から10分ごとに拍手が沸き起こりました。公演の翌日、私は、文楽という地球上で最も古い大人向けの人形劇を目撃し感銘を受けたと言うプロヴディフの人から、日本の伝統芸能の人形劇である文楽を普及するためのクラブをつくりたいとの電話を受けました。プロヴディフでは同時期に吉田玉助氏と親交のある大阪の山本能楽堂が公演をしており、最終日の自由時間では全員で一緒に夕食をとる機会をもつことができました。その夜、日本人とブルガリア人のアーティストが共に食卓を囲み、公演の成功を喜びながら異文化交流をし、互いに刺激し合っている様子を見て、これこそがメリナ・メルクーリ氏が欧州文化首都を提唱、発足した際に求めていた事なのではないかと考えました。なぜなら、文化は国境を越え未知の世界を理解できるようにするものであり、アーティスト達は芸術を通してこの世界の精神的な意味を伝える事が出来る貴重な存在だからです。そして、現在私たちは2020年に欧州文化首都となるリエカのリエカ市人形劇場とのコラボレーションを非常に楽しみにしています。
日本人とブルガリア人のアーティストを集め、共にブルガリアで日本の人形劇を広めるというユニークな機会を与えていただいたことに感謝します。