コラム
Column日本とリトアニアの若手前衛音楽家の期待に満ちた出会い
shishiとKuunatic。それぞれ独自のバックグラウンドと伝統を持つ、世界の遥か遠く離れた場所からやって来たふたつのバンドが、独特な何かを生み出すべく、互いに出会いました。当初から、この出会いはチャレンジであり、これらふたつの異なるサウンドや文化や背景が、彼女達の芸術においていかに接点を探り当てるのかという疑問を投げかけていました。たとえ両バンドが、オルタナティブな音楽的バックグラウンドを持つ女性3人構成のバンドであるといういくつかの類似点が見出せたとしてもです。これに加えて、shishiとKuunaticがリトアニアで出会う直前に、ある不思議な出来事がすでに起きていました。彼女達はドイツで、他のプロモーター主催のライブに名を連ね、同じステージに出演していたのです。これらのバンドの絶妙な取り合わせに気づいたプロモーターは、まだほかにも存在するようです。
リトアニアでの初日、shishiとKuunaticは、shishiが普段バンドの練習に使用しているKKC(キルティマイ・カルチャー・センター)のスタジオで顔合わせをしました。shishiのメンバーは、Kuunaticの女性達を温かく歓迎し、これまで自分達が曲作りを行ってきた場所を案内したいと望んでいました。どちらのバンドも、大きな期待を寄せている様子ではありませんでした。音楽によるコラボレーションの開始に先立ち、両バンドの女性達にテーブルを囲んで打ち解けた会話の場を持ってもらうことを目的に、私はバンドの到着前にちょっとしたおもてなしをご用意しました。一時間が経ち、音楽が始まりました。それは、私が思うに、最初の一秒目から、すでに音楽がもたらす奇跡が感じられるものでした!音色が溶け合い、ふたつの異なる文化やバックグラウンドが互いにぶつかり合い、独特な何かを創り出していました。最初の30分間、彼女達が奏で合う演奏は、留まるところを知りませんでした。ともにジャム演奏を楽しんだ後、shishiとKuunaticは、歌を試してみることにしました。shishiが日本語で、そしてKuunaticがリトアニア語で歌いました。これにより、よりいっそう面白さとユニークさが増しました。
shishiのスタジオで、2時間じっくりと飛びきり楽しいひとときを過ごした後、私達はさらにプロフェッショナルなスタジオへと場所を移し、より本格的な方法で一曲レコーディングを行うことにしました。そこでは、双方のバンドがそれぞれのパートを楽器で演奏し、ボーカル無しで録音しました。両バンドともに楽しんでいる様子が感じられ、私個人としては、彼女達に演奏を止めてほしくありませんでした。しかしボーカルを入れるタイミングになった頃には、彼女達は丸一日の共同作業ですでに疲れ切っていました。
その翌日、shishiとKuunaticは、カウナスの同じステージに揃って出演しました。最初にステージに姿を現わしたのはshishiでした。ほとんどの観客がすでに、shishiが有望株のリトアニアのオルタナティブバンドであることを知っていました。shishiは45分のセットをこなし、誰もが楽しみ、アンコールの拍手が鳴りました。
出演ラインナップの2番手には、ヘッドライナーを務めるKuunaticが控えていました。Kuunaticがステージに登場すると、観客は盛大な喝采を送りました。メンバーが纏う日本の伝統的な衣装だけでもすでに、ただただ凄いと観客を唸らせていました。一曲目は、まるで観客を彼女達の旅へと連れ出すような印象がありました。それはこれまで全く聴いたことのない、私達の耳に新しいものでしたが、確実に観客の魂に感動をもたらしている様子でした。コンサート全体を、彼らは好奇心と喜びと驚きをもって見つめていました。観客が彼女達の音楽に夢中になっていることは、一目瞭然でした。会場にはおよそ400人の観客がいましたが、そのほとんどが、あるいはその誰もが、生まれてこのかたこのような音楽を聴いたことがありませんでした。Kuunaticは50分間の演奏を披露し、観客からはアンコールを求めて拍手が湧き上がり、バンドは追加でもう一曲届けました。
最初の印象から察するに、双方のバンドともに、このような音楽の旅へと出発し、コンフォートゾーンから外れることに、違和感があったように思います。しかし奇跡が起こり、両バンドはコミュニケーションを続け、何曲か曲づくりに一緒に取り組んでいくことになりました。私達は、Kuunaticが日本で歌入れができるように、彼女達に楽器パートを送ることになっています。その一方で、shishiは、リトアニアでボーカルを入れる予定です。ふたつのバンドが同じステージで共演する、ダブルビル公演としてのツアーの実施を企画しています。また日本訪問を予定しており、さらに数曲を一緒にレコーディングする計画も上がっています。
観客の観点から考えると、コンフォートゾーンを飛び出し、真新しいサウンドに心を開くことは良いことです。それは健全なことであり、たとえ最初は自分には向いてないと感じられたとしても、私が思うに、たいていにおいて、言語や伝統や国境が消えて無くなり、ひとつの共通的感覚となる場所で、芸術が巻き起こす奇跡がその心をとりこにするからです。何はともあれ、私達は皆同じ土壌に立っているのです!
そうした感覚が現にここにあり、これが最後の出会いではないということを、私達は実感しました。何よりも大切なのは、ひとまずそのスタートは切れたので、今後私達がリトアニアあるいは日本でこの取り組みを継続していくことに尽きます。