コラム
Column生命を見つめるテキスタイル
物事を注意深く見つめると、すべてが完全で継ぎ目のないテキスタイルであることに気づきます。殊に世界規模のパンデミックや悲惨な戦争といった情勢において、テキスタイルは、私達の物質的な脆弱性を呈する感受性豊かな表現として立ち現われます。一方でかねてから、理論や芸術の焦点が、物質の生命や生に関わる事柄に置かれてきました。環境問題に応答する人新世を巡る議論や、新唯物論の哲学、その他の方向論が、人の感性とそのネットワーク構造を重視しており、それは技術を巧みに身につけた一人の人間だけでなく、自然界の他の生き物によって織り上げられています。テキスタイルアートは、私達を取り巻くあらゆる表面、布、「皮革」、質感を網羅した独特なテキスタイル哲学を打ち出すことにより、こうした時流に呼応し、コンセプチュアルかつ詩情に富んだ複合的メタファーを提示しています。これは布についての深い認識、精緻な匠の技、そして素材の実践を通じて表現された、独自の哲学といえるのです。
こうした芸術的実践および思考の専門領域としてのテキスタイルに向けたアプローチが、私達の存在の仕組みを考察する上で、ファイバーアートが最適なメディウムであると考える現代のクリエーター達を結びつけています。その布は、死んだ魂の抜けた物体ではありません。それは作家の目、手、身体からのみならず、そこに表現され、あるいはそのまま織り込まれた体験、思想、記憶、視覚、直感から生命力を受け取る、生きた布なのです。テキスタイルは、物体と生命の誕生、布と人間の主観性といった二つの次元を織りつなぐ、最良の媒介役ということができます。
日本とリトアニアの現代テキスタイルアート展「Between Two/Contemplations(ふたつのあいだ/観想)」は、カウナスの複数のギャラリー会場で開催され、またこれを記念した図録が刊行されましたが、そのなかで私達は、はるか太古から伝わる二国の文化的伝統のあいだに存在する根本的な違いを目の当たりにします。しかし何より驚くべきことに、これらの違いは、共通する基本的側面によってひとつに結びついているのです。
当然のことながら、文化現象としてのテキスタイルは、両国ともに独自の伝統を有しており、それは現在の作品からも感じることができます。それと同時に、テキスタイルは、それに内在する媒介的特性により、時空の境界を超越した活発な異文化対話を生み出す、独特な伝達力を備えているのです。
本展のタイトルは、二名のキュレーターが参加した対談から派生したものです。同展の共同キュレーターを務め、著名なテキスタイルアーティストであり多摩美術大学名誉教授のわたなべひろこ氏は、展示作品は観想的な視点によって結びついていると、洞察に満ちた指摘を述べました。テキスタイルとは、観想や瞑想のひとつの形式といえます。それは律動的に構成された営みで、これを通じてこの世の秩序に触れることができ、我を忘れさせるものがあります。「Contemplation」という言葉の日本語の意味のひとつに、「沈思黙考」がありますが、これは禅宗における座禅と同義語でもあります。このほか、「観照」、すなわち目を通じた体験という意味もあります。リトアニア語の文脈では、「contemplation」は、現実を深く見つめ直すことにも関連しています。またその意味のひとつに、物事を注意深く観察することが挙げられます。この洞察のモチーフと経験が統一的概念となり、生命の持つテキスタイル的性質を理解し、作品に織り込まれているものを見出すよう私達に働きかけているのです。
日本人作家による作品は、超自然に迫る自然のフォルムに満ち溢れています。弥永保子氏、熊井恭子氏、永井ひとみ氏、小川倫代氏、岡本直枝氏、佐久間美智子氏、芹野直子氏の作品は、自然に秘められた根源的な創造力を顕在化させています。これらのテキスタイルが表現する珊瑚や植物、雲や風、細胞の組織や微生物は、今にも呼吸をし、動き出しそうです。形ある物質やフォルムや色調は、単なる「もの」の形状であるだけに留まらず、それらは人間の存在や主観的体験の領域に姿を現す生命の始まりでもあります。川井由夏氏、椿操氏、柳下恵氏、わたなべひろこ氏、石森晴菜氏、久保田繁雄氏の作品では、素材やフォルム、そして技法そのものの生命が表現され、それは連綿と続く時間の流れに注がれ、人間の経験や人生に影響をもたらしています。
多彩な繊維素材や技法、展示形式を含んだ日本人アーティストによる現代創造表現は、列島文化の最も深い奥底に広がっており、それは縄文文化や、世界をひとつの有機的な構造と捉える自然に基づいた神道の世界観に通じています。ここでは有機体と非有機体が絡み合い、自然と目に見えないスピリチュアルな存在の力により生命が授けられています。
リトアニア人アーティストの作品では、人間と社会の現実の構造に焦点が当てられ、経糸の日常と緯糸のより深い内省のスレッドが絡み合う様子に、驚嘆の念を顕わにしています。その現実の「布」とは、いわばリアルとバーチャルの両方であり、その模様は見えざる存在から生命を受けています。ここでは過去と現在だけでなく、より一般的な記憶と個人的な体験、確かな知見と直感が絡み合っています。これらの作品の発想自体がテキスタイルのように思えるほど、そのコンセプトが美しく紡がれています。
ライマ・オルジェカウスキエネ氏による手織りのタペストリー作品は、本展の二部構成の展示のあいだとその他のあいだに懸け橋を築きました。それはまるで日本で捉えた瞬間を写真に収めて映し出した、バーチャルスクリーンのように見えます。テキスタイルは、現実を成す複数の層において、観る者の目を惑わせる謎めいた媒体システムといえます。それはモダンであるとともに古めかしくもあり、元となるテキスタイルと儀式のあいだのつながりから何かを残しているのです。モニカ・ジャルタウスカイテ=グラシエネ氏の作品では、現代のデジタルコードに相当する、古代の女性達により編み出された模様が、マトリクスあるいは宇宙工学として浮かび上がっています。ラスマ・ノレイキーテ氏は、私達の身体的および社会的構造を考察し、意識の変化を求めています。ルータ・ノウヤリーテ氏は、マルチ柄プリント生地の大量消費文化に潜む破壊性を浮き彫りにしています。アルミラ・ヴァイゲル氏の空間インスタレーション作品では、歴史と記憶、集合的経験と個人的経験で紡がれた糸が撚り合わさり、第二次世界大戦の遺物から生じた筆舌に尽くし難い意味が描き出す情景へと姿を変えています。リナ・ジョニケ氏の作品では、人生は日々の機織りにより織り成されていると感じられます。インドレ・スピットリーテ氏は、微生物と協力し、人間に密着する有機的な布素材を創り出し、その素材が微生物と生を共にします。これにより、全く新しい現実の創造を促しています。
本展の開催に付随して得られた成果のひとつが、さらなる協働に向けた基盤でした。展覧会の準備期間中、特に川井由夏氏を通じて、多摩美術大学との密接な協力関係が築かれました。川井氏には、今回は本プロジェクトの規模の関係で参加が叶いませんでしたが、花岡和羽氏、岡本風愉氏など新進のテキスタイルアーティストをリモートでご紹介いただきました。このことが、ヴィリニュス芸術アカデミー・カウナス芸術学部と多摩美術大学のあいだでより緊密な連携を図り、文化的対話の場やアートの現場に若手テキスタイルアーティストを巻き込んでいくことについて考えるきっかけとなりました。このほか、2023年2024年度にカウナスで予定されているさらに大規模なテキスタイルアート展で、日本とリトアニアとスペインの作家を一堂に集めた三国間展覧会を開催するという、本格的な計画へと発展したアイディアもありました。スペイン人キュレーターのマリア・オルテガ氏が、近い将来展開されるこのプロジェクトに関心を寄せています。こうして本展は、日本と欧州の作家間の協力および交流を強化し、双方の伝統を伝播しながら、現代世界においてそれらを具現化する足がかりとなる共通のテーマを探求しているのです。